りぼんの読書ノート

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万延元年のフットボール(大江健三郎)

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「これこそが小説」と思わせてくれた名作です。障害児の出産と友人の縊死によって挫折感を味わっている兄の蜜三郎。過去の妹の死に責任を感じ続け、60年安保闘争に挫折した弟の鷹四。2人の兄弟が故郷である四国の谷間の村に戻り、幕末に起きた民衆一揆を指導した祖先たちに自らをなぞらえて、自らのアイデンティティ確認を模索する重層的な物語。

顔を赤く塗り素裸で肛門に胡瓜を差し込んで縊死した友人の死に導かれ、夜明けの穴にこもってうずくまる蜜三郎。谷間の村で組織したフットボールチームの若者たちを中核として、現代の暴動を起こそうとする鷹四。

この2人の兄弟は同一人物の2つの面と思われます。語り手の「蜜」は、自らのうちにある「鷹」的なものを故意に排除しながら生きてきた存在であり、障害児出産によって疎遠になった妻の奈採子は、「鷹」と不倫をすることによって、「蜜」のもとに戻ってくるのです。一揆を指導した後に行方をくらました曽祖父の弟が、蔵屋敷の床下に潜んでいたことは「蜜」の穴篭りと通じ、彼が再び明治期の暴動を指導したことは「鷹」が谷間の村で「御霊」として祭られていくことに繋がっていきます。

重層的な構造を有している本書では、多くの事柄が二面性を有しているのですが、それは物語に登場してこない蜜三郎と奈採子の2人の子供が象徴するものにも現れてきます。脳に障碍を持った子どもが夫婦の関係を「壊す人」であるなら、奈採子が身ごもった鷹四の子どもは「繋ぐ人」なんですね。「四国の谷間の村」が、森に潜む隠遁者ギーや、大食の中年女ジンによって「神話的世界」であるかのように描かれることもまた、本書の重層性を増していきます。

この本は、村上春樹1973年のピンボールをはじめ、多くの小説に影響を与えたことでも知られていますが、主人公の蜜三郎が自分を「ネズミ」に例えていたことも、再読して「発見」したこと。

以前読んだときには「本当のことを言おうか」のフレーズが強烈的すぎて、読み取れなかったことがたくさんあったように思えました。再読する価値のある作品です。

2009/11