りぼんの読書ノート

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われらが歌う時(リチャード・パワーズ)

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オバマ新大統領の就任式典で、200万人もの参加者がワシントンのナショナル・モールを埋め尽くした光景は圧倒的でしたが、本書の主人公たちもここで運命の出会いを果たします。亡命ユダヤ人物理学者のデイヴィッドと黒人音楽学生のディーリアは、第二次大戦直前、ホールから締め出された黒人歌手マリアンの野外コンサートで2人の未来を垣間見たのです。

やがて結ばれた2人に、3人の子どもが生まれます。天界の声を持つ兄ジョナ、平凡なピアニストの弟ジョゼフ、人権活動家となる妹ルース。調和の音楽に満ちた「シュトロム家」という小宇宙を築こうとした家族でしたが、第二次大戦から公民権運動へと向かう時代の流れが荒々しい不協和音を叩きつけてくる。

人種を超えた結婚によって生まれた家族の歴史という主旋律が、現代アメリカの人種問題、音楽、時間論という3つの通奏低音に乗って、美しく、激しく奏でられていくのですが、世俗的な問題を超越しているはずの音楽も物理学も、夫婦が願ったようには人種問題を解決してはくれません。

「家族の歴史」と言いましたが、この表現は正しくありませんね。時間は「流れる」ものではなく、現在も、過去も、未来も、ただ「そこにある」のです。作品の時間もまた、過去から未来へと一定方向には流れず、「複数の今」を行き来します。まるで時間の謎を極めようとした物理学者のデイヴィッドが、そう考えているように・・。

時間を逆行して古典音楽にのめりこんでいく兄ジョナ。音楽を捨ててブラックパンサーに加わる妹ルース。静止点である兄と、運動体である妹の間を揺れ動くジョゼフ。不協和音に取り込まれた家族は、世界は、調和を取り戻せるのでしょうか。そして、人種を超えて結ばれた両親の想いは、どこにたどりつくのでしょう。

ジャンルを越えて混ざり合い軽やかに新たな時代を生み出していく音楽の世界と、混血を繰り返しているのに頑として存在し続ける人種問題は、あまりに対照的で、読者も何度も希望を失いそうになるのですが、ご安心ください。リチャード・パワーズの世界には、いつも一筋の光明が残されているのですから。もうひとつ。彼の文章は、息を詰めてしまうほど美しいのです。

2009/2