1970年にマレーシアの華人家庭で生まれた著者は、マレーシアと台湾やシンガポールを行き来しながら中国語で執筆活動を続けています。マレー人を優遇するブミプトラ政策が敷かれるマレーシアにおいて非マレー、非イスラムの女性の生き方に限界があることを、彼女の半生が物語っているようです。ただし彼女の作品の主題は、反マレー、反イスラムではありません。矛先は、個人の生活・信条を規制しようとする権力に向けられています。
「湖面は鏡のように」
英語教師の華人女性が、マレー人の男子生徒にカミングスの詩を朗読させたことが、学内で問題んいなってしまいます。その生徒が詩を朗読する動画をネットにアップロードし、同性愛者であることを告白したのです。自分の存在を他者に知らせることと、闇の中に隠れていることの、どちらがより安全なのでしょう。
「壁」
高速道路に面した防音壁によって少ししか開かなくなってしまった裏口から入り込んできたネコは、どこに消えてしまったのでしょう。痩せて裏口を通れるようになった女性もまた、消えてしまいました。自由な女性に対する残酷な私刑を暗示しているようです。
「男の子のように黒い」
貧困家庭に育ちながらスタイルに恵まれた14歳の蘇愛(スーアイ)はモデルになることを夢見ていますが、「マレー人やインド人みたいに」色黒で成績も悪い彼女の夢が叶うことはないのでしょう。過去に性被害にあって過食と暴力から抜け出せない姉の姿が、彼女の未来のように見えてしまいます。
「箱」
中国人移民の息子であった夫を亡くしてからだいぶたっても、雑貨屋の安雅(アンヤー)の家には死者たちが遺した家具や古道具が片付いていません。ずっしりとした箱に入っているのは、死の臭いにまみれたものばかりなのに。
「夏のつむじ風」
マレー出身の蘇琴(スーチン)は、台湾人男性と結婚して台北で暮らしています。しかし先妻の子たちは後妻である彼女に懐かず、ひとり孤独感にさいなまれているのです。人種や言葉の近さがかえって、相違を際立たせているようです。
「ラジオドラマ」
久々に帰郷した娘が母と一緒に訪れた美容院では、客たちが福建語で口論していました。インドネシア系のマレー語で客たちをなだめる美容師の存在が際立ちます。前作とは異なり、人種や言葉の遠さが互いを媒介することもあるのです。
「十月」
「サンダカン八番商館」をイメージさせる作品です。サンダカンに売られてきた「からゆきさん」のキクは、信頼していた牧師に去られ、政府系会社高官の愛人となるのですが、彼の正体は海賊でした。大雨の中、気球で町を去るというドラマチックな物語の結末は、読者に委ねられています。
「小さな町の三月」
年配女性と大学生の淡い恋情を描いた中国の女性作家・簫紅の短編「小城三月」へのオマージュ作品です。想いを秘めたまま意に染まぬ結婚の末に早逝した叔母を見て育った姪は、叔母が憧れていた女学生となるために小さな町から出ていきます。
「Aminah」
父のイスラム改宗によって、ムスリムとして登録された洪美蘭(ホン・メイラン)は、名前もアミナと変えられてしまいました。イスラムからの離脱申請は認められず、リハビリセンターに送られて宗教教育を受けることになったアミナは精神を病んで、夜中にセンターから脱走するのですが・・。
「風がパイナップルの葉とプルメリアの花を吹き抜けた」
前作のアミナと同じ名前で同じ境遇の女性の物語ですが、別人のようです。著者は「アミナ」というイスラム名と中国名を持つ女性たちの物語を連作短編として綴っているのですね。本書のアミナの中では、2つの名前に象徴される2つの人格が分裂しているようです。
「フックのついたチャチャチャ」
こちらのアミナは、マレー人の容貌でありながら華人の暮らしをしている少女です。文通相手にどちらの名前を知らせるか悩んでいる少女は、2つの名前を持つことから開ける可能性を想像しています。新しい世代は、制度に縛られない新しい生き方を可能にしていくのでしょうか。
2024/2