りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

百寺巡礼 第5巻 関東・信州(五木寛之)

大阪勤務時に読み始めたシリーズですので、これまで奈良・京都をはじめとする関西の寺院についての巻を中心に読んできたのですが、関東にも歴史ある寺院は数多くあるのです。「久遠寺」を除いては訪れたことがある寺院ばかりです、

 

浅草寺 熱と光と闇を包む観音信仰」

東京の寺というと江戸時代以降というイメージがありますが、浅草寺東大寺清水寺よりも古く、飛鳥時代から存在していたとのこと。628年に漁師の網にかかった観音像にはじまるとの寺伝は証明しようもありませんが、平安初期に存在していたのは確実のようです。今では外国人も多く訪れる東京きっての名所であり、参拝者は年間3千万人を超えるとのこと。TDR入場者が年間2千2百万人ですから凄いものです。観音像を拾った漁師たちは、三社権現として浅草神社に祀られています。

 

増上寺 念仏のこころと東京タワー」

東京タワーにほど近い増上寺は徳川家の菩提寺であり、江戸の裏鬼門を守る寺院とも言われています。浄土宗の七大本山の一つでありながら、国際色豊かで開放的なイベントも数多く行う増上寺のあり方は、国家を危うくするキリスト教を別にして宗教的に寛容であった家康の理念に基づいているのかもしれません。

 

築地本願寺 埋立地に立つエキゾチックな寺院」

家康によって佃島を与えられた漁師たちが、築地を埋め立てて建てた信仰の拠点は、関東大震災の後でおよそ寺院建築とは思えない異国的で巨大な建物となりました。中央アジアなどに学術探検隊を派遣したことで知られる西本願寺第22世・大谷光瑞人氏と、明治日本の近代建築の草分けとして知られる伊東忠太との出会いが生み出した奇跡の建築です。

 

柴又帝釈天 寅さんの街に佇む古刹」

「経栄山題経寺」といわれてピンとこなくても、通称の「柴又帝釈天」は有名です。寺院そのものにも、だんご屋、うなぎ屋、土産物屋が立ち並ぶ参道商店街にも、「フーテンの寅さん」のイメージが染み付いています。江戸庶民の間に爆発的に広がった帝釈天信仰の寺であることを思うと、今のあり方に問題はないのでしょう。、本尊は、日蓮上人の手による板彫りの帝釈天像です。

 

成田山 聖と俗が混ざりあう庶民信仰」

平将門の調伏を祈った寛朝が建てた堂宇から始まった寺院は、江戸時代の成田詣での流行を経て巨大な寺院となりました。不動明王を本尊として「現世利益のデパート」とも言われる新勝寺と、「成田屋」の屋号を持つ歴代の市川團十郎との関係も有名です。初代が跡継ぎの誕生を叶えられて以来の縁であることは、大塔内にも展示されています。

 

建長寺 中国僧が武士に伝えた禅」

鎌倉五山」の第1位である建長寺は、中国渡来の禅僧である蘭渓道隆によって開かれました。当時の京都にあった建仁寺東福寺などの禅寺は従来の密教との関係も深かったとのことで鎌倉に向かった道隆と、第5代執権の北条時頼との出会いが、日本初の純粋な禅寺を産み出したのです。執権就任時の陰謀を阻止して名越氏や三浦一族を滅ぼした時頼は、この時まだ20歳の青年だったのですね。

 

円覚寺 明治の文学者たちを癒した寺」

鎌倉五山」の第2位である円覚寺は、時頼の息子である第8代執権・時宗が招いた無学祖元によって開かれました。元寇による戦死者の霊を弔うために建てられたわけですが、禅宗が「日本人の生活の中に深く浸潤していき、ひいては日本文化や日本人の性格の形成に大きく寄与していった」のは、この2人の功績に寄るところが大きいようです。明治以降には、夏目漱石島崎藤村有島武郎川端康成立原正秋らの文人も惹きつけました。

 

高徳院 多くの謎と武士の祈りを秘めた大仏」

源頼朝の発願に始まるともされる鎌倉大仏の建立が開始されたのは、建長寺の完成1年前の1252年のこと。浄光という僧の勧進によるとされますが、完成時期を含めていっさいの記録が残されていないようです。禅宗への帰依を深めた鎌倉幕府は、公式の支援も公式記録への記述も行わなかったのかもしれません。著者は「名もなき庶民の汗と涙の結晶」として考えたいと述べています。

 

久遠寺 情にあつく、さびしがり屋の日蓮像」

4度の法難を逃れた日蓮が晩年になって、甲斐領主の波木井実長から提供されたのが身延山です。やがて日蓮宗の総本山として聖地となった身延山を訪ねた著者は、その地の豊かな自然に触れて、日蓮は「草木国土悉皆成仏」の教えに準じて生きた人物だったのではないかと述べています。

 

善光寺 濁る川に生きる覚悟をする寺」

「牛に引かれて善光寺参り」の諺にあるように参拝のきっかけを問わない善光寺は、どの宗派にも属してはいません。あらゆる者を拒まず濁世・乱世の中で現世利益を説き続ける寺院のあり方は、いまだに宗教的な対立の止まない世界の中でひとつのモデルを示しているようです。著者は「自分自身は濁れる大河の一滴としてありつづけよう」との思いを綴って、本巻を結んでいます

 

2023/12