りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

掌に眠る舞台(小川洋子)

「舞台」とは劇場に限られたものではありません。見られていることを意識して演技する者と、それが演技とわかりながら見る者がいる場所は、全て「舞台」なのでしょう。そして誰でも人生の「舞台」に立つことはできるのです。静かに語られる8編の物語は「舞台」が消えると同時に終わりますが、しかし人生はその後も続くことを知っている読者は、長い余韻に浸れることでしょう。

 

「指紋のついた羽」

文化会館で見たバレエ「ラ・シルフィード」に魅せられた少女は、町工場の空き地に置いた工具箱の上で、ペンチやスパナたちにバレエを演じさせます。そのことを知った縫製工場の縫い子は、少女が妖精に宛てて出した手紙に返事を書くのです。2人だけが知っている無言の世界の美しさが、読者をも包み込んでいきます。

 

ユニコーンを握らせる」

昔「女優」だったと自称する叔母は、自宅にある全ての食器の底に「ガラスの動物園」のローラのセリフを書きこんでいました。去ってしまったジムを待ち続けるローラのようにつつましく生きている叔母は、彼女の人生から去ってしまった何かを永遠に目ち続けているのでしょう。

 

「鍾乳洞の恋」

長い年月、古参OLの左下奥歯を支えていた旧いブリッジの修復跡は、「オペラ座の怪人」が潜む地底の鍾乳洞のようになってしまいました。彼女は古いアパートの一室で、彼女の音読の声に惹かれた鍼灸院の院長に、口の中の鍾乳洞から現れてきた不思議なものを差し出すのです。

 

ダブルフォルトの予言」

帝国劇場で演じられた「レ・ミゼラブル」の79回分の全公演のチケットを買った老女は、「失敗係」の女性と出会います。舞台の上の一室に住み、役者の失敗を予言して身代わりになるという女性は実在していたのでしょうか。

 

「花柄さん」

動脈瘤で突然死した中年女性が孤独に暮らしていた部屋のベッドの下には、何が隠されていたのでしょう。彼女の唯一の趣味は、劇場の楽屋口で役者を出待ちしてプログラムにサインをしてもらうことだったのです。それも「村人3/死者/その他」を演じるような無名の役者に。

 

「装飾用の役者」

金持ちの老人が自分のためだけに屋敷の奥に建てた小さな劇場で、装飾用の役者として生活することになった女性は、何を演じるのでしょう。やせ細った身体で、豊かな白髪と視線を吸い込むような大きな眼球を持つ老人のモデルは、川端康成氏にしか思えませんでした。

 

「いけにえを運ぶ犬」

春の祭典」のファゴットのソロが、少年時代の記憶を呼び覚まします。それは巨大な犬に曳かせたリアカーで本を売り歩くおじさんのもとから、欲しかった本を盗み出そうとして犬に睨まれた時の記憶だったのです。

 

「無限ヤモリ」

温泉保養地の廃墟になった芝居小屋の舞台の上に隠れて、誰にも見つけられないまま取り残されてしまった子供は、子供用のジオラマを作り続けている理容室の老夫婦が、遠い昔に失った息子なのでしょうか。保養所の老管理人夫婦が育てている、子宝のお守りになるという無限ヤモリが不気味です。

 

2023/7