りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

母の待つ里(浅田次郎)

花巻駅や空港から1時間ほどの距離というから、遠野近郊の鄙びた村なのでしょう。東京で身を立て名を挙げた一人息子の数十年ぶりの里帰りを迎えてくれるのは、村で暮らし続けた幼馴染や、菩提寺の住職や、子供の頃を知る近所の老人たち。そして茅葺き屋根の曲がり家で出迎えてくれるのは、年老いた母親と、昔懐かしい手料理に、寝物語の中で得る安らかな眠り。ありそうな話ですが、これはカード会社が法外な料金で提供するプレミアムサービスなのです。

 

しかし、それぞれ半信半疑で「理想のふるさと」へと向かった還暦世代の男女は、そこでかけがえのない「母」と出会うのでした。それは、フィクションでもいいから「ふるさと」が欲しいという現代人の願いを叶えるビジネスにすぎないのでしょうか。その一方で、若者流出と過疎に悩む村人たちにとっても、息子や娘の帰郷とは叶い難い夢であるようにも思えます。そして年老いた「理想の母」にも、彼女自身の物語があったのです。

 

現実の帰郷が理想とは程遠いものであることなど、誰でも知っています。親の介護、傷んだ実家、経済的な問題、散り散りになった幼馴染、親戚との諍い・・。はじめから帰るべき故郷を持たない都会人も多いはず。「理想のふるさと」への希求は、現代日本における「ふるさと喪失」の深さを反映しているのでしょう。直前に読んだ『グリーン・ロード(アン・エンライト)』は、アイルランドの片田舎にひとり住む母親のもとに、4人の兄弟姉妹が久しぶりに集まったぎこちなさをテーマとした物語でした。それでもそこにはまだ、現実の故郷がありました。

 

2023/7