りぼんの読書ノート

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広重ぶるう(梶よう子)

奇人の天才を父に持った北斎の娘・お栄の苦悩を描いた『北斎まんだら』と、明治期に失われつつあった浮世絵を守ろうとした4代目豊国の気概を描いた『ヨイ豊』の著者は、歌川広重なる人物をどのように捉えたのでしょう。

 

定火消同心の家に生まれた広重は、家督を手放して絵師となったものの、周囲からの評価はいま一つ。老境に入っても大胆な天才であり続ける北斎、役者絵の国貞(3代目豊国)、武者絵の国芳美人画の栄泉らが人気を博する中では、地味で売れない存在にすぎませんでした。しかし彼は、姿絵よりも格下と見なされていた名所絵に居場所を見い出します。そしてそんな彼の助けになったのは、当時輸入され始めたペルシアンブルーの顔料だったのです。「ベロ藍」という通称は、ベルリンの染料業者が発見した合成顔料であったことから来ているとのこと。

 

広重はベロ藍を用いて、美しく冷たい青空を染め上げます。それは、後にジャポニズムを代表する大胆に切り取った風景画の構図に、ぴったりと嵌まりました。ベロ藍を使い始めたのは北斎が先でしたが、「東海道五十三次」や名所江戸百景」などで広重が使いこなしたことで、後に「広重ブルー」と呼ばれるようになったほど。

 

著者は広重を、妻の加代を愛し、弟子の昌吉たちを気にかけ、版元の岩戸屋や保栄堂に強がる等身大の人物として描き出しました。ただし、生まれ育った江戸を心から愛した人物として。火事や地震で何度壊されようと、彼の眼にはいつもと変わらない青空が映り、彼の心の中にはいつもと変わらない江戸の風景が広がっていたのでしょう。

 

2023/6