りぼんの読書ノート

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猫と漱石と悪妻(植松三十里)

夏目漱石の妻であった鏡子(旧姓:中根)は、悪妻とか猛妻として知られています。確かに貴族院書記官長を務めた中根重一の娘として鷹揚に育てられた鏡子は、男尊女卑の風潮が強かった当時の基準にはそぐわなかったようです。しかし「悪妻説」は漱石を神格視していた一部の弟子たちによる中傷にすぎず、実際は漱石にとって良き妻であったというのが事実のようです。本書は鏡子の視点による夏目家の物語。

 

見合い相手として現れた漱石に一目惚れした鏡子は、いかがわしい占い師の「苦労するが大成する」との言葉を信じて結婚を決意。しかし漱石が松山から帰任した後に東京で新婚生活を始めるとの目算は、彼が熊本で職についたことで狂ってしまいます。慣れぬ熊本で四苦八苦する鏡子でしたが、それは苦難の序章にすぐませんでした。ようやく長女を得て一安心とはいかず、今度はロンドンに留学。そして2年後に帰国した漱石は、精神を病んでいたのです。自分のみならず、幼い娘にまで暴力を振るう漱石に愛想をつかした鏡子は、離婚を決意するのですが・・。

 

そんな漱石一家の救いの神は、迷い込んできた一匹の黒猫だったようです。鏡子は猫が散らかした手紙によって漱石への想いを新たにし、漱石は猫をモデルにした斬新な小説で己の天職を知ることになるのです。ずっと名前をつけてもらえなかった猫が姿を消した後に漱石は大病を患いますが、もはや夫婦間の信頼関係が揺らぐことはありませんでした。漱石の作品には、美禰子や静や三千代など、教養あるお嬢様タイプの女性が登場することが多いのですが、それぞれに鏡子に一部分が反映されているのでしょう。

 

関係者の手記に基づくNHKドラマ「夏目漱石の妻」によって、鏡子は決して悪妻ではなかったことはもはや定説となっている感もありますが、一家に迷い込んだ猫を絡めて書かれた本書は、ユニークで楽しい作品でした。

 

2023/6