りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

すべての月、すべての年(ルシア・ベルリン)

1936年にアラスカで生まれた著者は、父の仕事の関係で幼少期から北米の鉱山町を転々とした後、成長期の大半を南米チリで過ごします。3回の結婚と離婚を経て、4人の息子をシングルマザーとして育てるために学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などの職に就く一方で、アルコール依存症にも苦しめられました。闘病中だった妹の世話に専念した時期を経て、刑務所などで創作を教え、後にコロラド大学准教授になるという数奇な人生を歩んだ女性です。徹底して実人生に基づく小説を書き続けた著者ですが、作品中の作家を実像と思ってはいけないことは、世界共通の原則ですね。

 

著者の死後にベストセラー本となった原書は、邦訳に際して、既刊の短編集『掃除婦のための手引書』の22編と本書の19編とに分けられました。前書には著者の実人生の各時代を扱った作品がまんべんなく収録されていたのに対し、本書ではシングルマザー時代、とりわけ看護助手時代のことを綴った作品が多い印象です。もちろんどれも傑作ぞろい。ただし19作全部は多いのでとりわけ印象に残った数編だけ紹介しておきます。

 

「ミヒート」

何もわからないまま犯罪者の恋人によってメキシコから連れ出されて子供を産み、悲惨な生活に陥った少女の独白。彼女に対して親身に接するものの、それも日常のヒトコマにすぎない診療所の看護師の視点。2つの一人称で語られる物語には、著者の慈愛と諦観とともに、著者が小説の登場人物に対して取る距離感が見て取れます。そういえば著者は、自分自身の人生についても、どこか突き放した描き方をする作家でした。

 

「笑ってみせてよ」

息子の友人と恋人どうしになった元教師は、彼が空港で起こした暴力行為に巻き込まれて逮捕されてしまいます。先の見えない暮らしに身を任せる女性と、2人と関わる弁護士の男の客観的な語りが交互に繰り返され、物語は奥行きと広がりを増していくのです。

 

「泣くなんて馬鹿」

母親を亡くした後、病魔に侵されて余命1年を宣告された妹のサリーを看病していた時代のこと。暗く寂しい時をすごしたものと思い込んでいたのですが、妹の裕福な元夫や真面目な現恋人や成長した娘たちに囲まれた、にぎやかだったのですね。互いに抱いていた憎しみやわだかまりを解消した姉妹にとっても、心安らかな時期だったようです。「わたし」が泣いたのは、久しぶりに再開した昔の恋人が、売れない小説を書き続けているだけの彼女の生活に価値を見出せない俗人になっていたからでした。

 

「哀しみ」

メキシコのリゾート地に滞在して長年の溝を埋めようとする姉妹。余命を宣告された妹とアル中の姉を観察する老婦人たちは、もちろん2人の事情など何もわかってなどいません。

 

「すべての月、すべての年」

夫を亡くして後、久しぶりにメキシコのリゾートに出かけた教師は、自分がどこでも必要とされておらず、誰にも何の責任も持っていないことを痛感します。ダイビングを教えて貰って刹那の愛を交わした貧しい青年漁師の借金や、老ダイバーの事故死も、彼女にとっては他人事だったのでしょうか。

 

「B・Fとわたし」

最晩年の作品です。トレーラーハウスでひとり暮らす老女の生活は、圧倒的に孤独です。この孤独感こそが、彼女の実人生と全作品の底流にあり続けたものなのかもしれません。

 

2023/1