りぼんの読書ノート

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シャルロッテ(ダヴィド・フェンキノス)

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シャルロッテ・サロモンという画家がいたことを、本書で初めて知りました。作品を調べてみると、シャガールにょうな幻想性とココシュカのような野生を併せ持ったような独特の画風です。しかも彼女は26歳の若さでアウシュヴィッツで亡くなっているのです。本書は、彼女の作品に衝撃を受け、彼女の悲劇的な人生にも魅了された著者が、8年の歳月をかけて書き上げた小説です。一文ごとに改行していく力強い叙事詩のような文体について、著者は「一文、一行書くたびに息をつく必要があったから」と述べているほどの力作です。

 

シャルロッテは短い人生の晩年に「人生?それとも舞台?」と名付けた芸術作品を描き上げました。それは769点もの水彩画の連作に、語りや台詞や音楽の指示まで付された総合芸術なのですが、なぜ彼女はそのような作品を遺したのでしょう。著者は彼女がそんな大作を製作するに至った理由を追い求めていきます。

 

第1次大戦のさなかの1917年のベルリンで、従軍医師の父と看護婦の母の間に生まれたシャルロッテは、13歳の時に母を亡くしています。鬱を病んでいた母親は自殺であり、しかも母の一族には自殺者が何人も出ていたのです。しかしシャルロッテが母の死因を祖父から知らされるのは、まだ先のこと。ナチに追われて両親と別れて移り住んだ南仏で、家族の忌まわしい秘密を知ってしまったシャルロッテは苦悩します。自分も自殺すべきなのか、それとも何かを成し遂げるべきなのかと。そして彼女は後者を選択するのですが、その時南仏にもナチの手が迫っていたのでした。

 

ナチの存在が彼女の人生に影を落とし始めたのは、美術学校に入学した16歳の時。やがてその影は、父親を飲み込み、父親の再婚相手だった歌姫を飲み込み、やがては彼女自身も飲み込んでしまうのですが、それもまだ先のこと。その前には激しい恋愛もあったのです。その相手は母親の音楽教師をしていたアルフレートであり、彼を描いたスケッチが大量に遺されることになるのですが、彼は不実な男性だったのでしょう。もっとも彼が誠実であっても運命は変わらなかったはず。22歳でべルリンを脱出したシャルロッテが彼と会うことは2度とありませんでした。

 

それでも彼女は南仏で結婚をしています。アウシュヴィッツに送られた時に身ごもってた子供がついに生まれることはなかったのですが、彼女の短い人生の中でつかの間の幸福な時期であったと願いたいものです。彼女の作品を集めた巡回展が、オランダ、ドイツ、アメリカの後で1988年に東京、大阪、横浜、京都の高島屋デパートで開かれたとのことですが、全く記憶にありません。本書の出版を機に、何らかの企画を期待したいものです。

 

2021/2