りぼんの読書ノート

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ウォーターダンサー(タナハシ・コーツ)

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著者の名前から日系の方かと想像していたら、全然違いました。姓は「Coates」で名が「Ta-Nehisi」というアフリカ系アメリカ人のスポークスパーソン的な人物で、差別についての鋭い考察を示してきた方だそうです。これまで回想録やノンフィクション、評論を書かれてきた方のはじめての小説のテーマは「地下鉄道」。19世紀アメリカにおいて奴隷制が認められていた南部諸州から北部自由州へ黒人奴隷たちが脱出することを支援した組織です。ただし本書の背景には史実があるものの、「奴隷制から逃れるための最大の武器は記憶である」との主張を込めたファンタジー的な要素も含まれています。

 

ヴァージニアの衰退しつつある農園主が奴隷女に生ませたハイラムには、幼い頃に売られてしまった母親の記憶がありません。子供を売られてしまった老女シーナに育てられ、やがて異母兄にあたる奴隷主の息子の召使いとして働くことを強いられます。しかし彼には絵画的な記憶力がありました。そしてその能力は、彼の祖母が海を渡ってアフリカに戻ったという伝説と深く関わっていたのです。やがて自立した女性ソフィアを愛するようになったハイラムは、一緒に逃亡を試みたものの失敗。しかし彼の能力に目を付けた地下鉄道組織に救出されるのです。

 

そもそも何でも記憶できるハイラムに、母親の記憶だけ欠落しているのは何故なのでしょう。そして彼が祖母から引き継いだとされる「ウォーターダンス」とはどのような能力なのでしょう。奴隷制から逃れられない者たちの苦悩や、地下鉄道組織に関わる者たちの理想や挫折の中で成長していくハイラムは、自身と愛する者たちの自由を手にできるのでしょうか。そして個人的な希望が、奴隷制廃止という大きな目標と衝突することはないのでしょうか。

 

本書に登場するハリエット・タブマンという黒人女性活動家は実在の人物であり、著者は彼女の物語に触発されて本書の構想を得たとのことです。また南部白人でありながら組織に関わったコリーンという若い女性がとても魅力的に描かれていますが、モデルもいたのでしょう。ただし白人の協力者について著者は「奴隷制を憎むことが奴隷への愛を上回る」理想主義者であると、ハイラムに語らせています。裕福なエリート革命家が往々にして「資本主義を憎むことが労働者への愛を上回る」のと一緒ですね。真の平等に至る道の険しさを垣間見た瞬間でした。

 

2022/4