1988年に書き始められた「陰陽師シリーズ」も17巻めになります。「偉大なるマンネリ」と評されるようになってからも既にかなりの年月が経っていますが、未だにスタイルがぶれていないのが素晴らしい。この巻では、相棒役の源博雅の活躍が目立ちます
「麩枕」
かつて博雅が朱雀門の鬼から手に入れた名笛葉二(はふたつ)の由来が明らかになります。同時に朱雀門の鬼も正体も。まさか唐の初代皇帝となった李淵と関りがあったとは・・。
「野僮游光」
青く光る玉「游光」を車に乗せて引く童たち「野僮」は、明らかにこの世のものではありません。奇病が流行ると現れるという「野僮游光」を、こんなに簡単に去らせることができるならいいのですが。
「いそざき」
無情な夫と若い女を呪った妻の恨みは、20年たってもまだ消えていなかったのです。鬼面を彫った鑿に魔力を宿らせたのも、妻が自ら望んで招き寄せたことだったのでしょう。
「読人しらず」
歌を詠む才がないと自認する妖しは、歌を作った者たちから歌を譲り浮けていました。それを知った博雅は、妖しに対して涙を流しながら渾身の説教をするのです。「生きていることがそのまま歌なのだと」。
「腐草螢と為る」
蘆屋道満と会ったと言うだけで、呪われていると思い込ませるというのは、やはり大層なことですね。
「跳ねる劫㕞(かみかき)踊る針」
内裏の井戸に棲む蛟の夫は、琵琶湖に棲む竜だったのですね。そんな井戸の上で余計なことなどしてはいけません。
「秘帖・陰陽師赤死病の仮面」
このシリーズとは異なる作品です。ポーの『赤き死の仮面』に材をとった作品であり、清明も博雅も登場しません。都を滅ぼすほどの流行り病の前では、人の正義感も邪気も無力のようです。
「蘇莫者」
若き日の蝉丸の恋と、ある秘儀を描いた中編です。神を呼び出すほどの曲と舞など、人が容易に弄んではいけないものなのでしょう。ましてそこに妬心を絡めてしまうなど、もってのほか。
2022/3