りぼんの読書ノート

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樽とタタン(中島京子)

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小説家となった女性が、小学校時代の記憶の海から掬い出した9つの物語。学校が苦手で友達もいず、いつも逃げるように帰宅していた少女が、共働きの母親が帰ってくるまで時間をつぶしていたのが、坂の下にあった喫茶店。店の隅にあったコーヒー豆の大樽を特等席としていた少女は、皆から「タタン」と呼ばれていました。

 

物静かなマスターの店に集まっていた常連客は、白いひげを蓄えた老小説家、歌舞伎役者の卵の青年、彼を贔屓にしている神主、謎の生物学者、悩める無口な学生、毎年冬に商店街にやってくるサンタ・クロースなど。樽の中に居場所を見つけた少女は大人たちの話に耳を傾けますが、彼女の記憶はどこまでが「本当」なのでしょうか。そもそも老小説家が語ったことなど、はじめから創作なのかもしれないのです。

 

そして物語の中盤から、少女の記憶は内に向かい始めます。幼児期に世話してくれて小学校に入る前に亡くなった祖母の思い出は、幼い心に未分化の生死感を焼き付けました。小学校の高学年になった頃に、マスターの姉が連れて来た小さい男の子は、まだ現実と虚構の区別がついていません。そんな男の子の幼さを見る少女は、自分がそんな時期を卒業してしまったことに気付くのです。そして完全に現実世界に足を踏み入れる最後の関門として少女は、自分と同じ「トモコ」の名を持つ少女と出会うのですが・・。

 

白髭の老小説家いわく「小説家にはひとつだけ、聞かれても答えなくていい質問がある」そうです。もっとも常に真実を語るとは限らない小説家ならずとも、人は誰でも「記憶の記憶を手繰り寄せ、合間合間を想像と妄想で繋ぎ合わせて、自分の物語を作っていくしかない」のです。

 

2022/3