りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

身内のよんどころない事情により(ペーター・テリン)

f:id:wakiabc:20211229110534j:plain

激しく虚実が入り混じる物語の主人公は、中堅作家ながら文壇では目立たない存在にすぎない作家のエミール。気の進まない作家の集まりを欠席する言い訳として「身内のよんどころない事情により」という嘘をついたところから物語が始まります。

 

その嘘をきっかけとして彼は、死後にでまかせの伝記を書かれることに怖れを抱く、自分によく似た作家「T」を主人公とする小説を書こうと思いつきます。やがてその小説は批評家たちの称賛を得て、著名な文学賞を受賞するに至るのですが、そんな時に「身内のよんどころない事情」に襲われてしまいます。4歳になった愛娘のレネイが若年性の脳梗塞に倒れて昏睡状態に陥ってしまうのです。

 

本書の第1部はエミールについて三人称で書かれ、第2部はエミールが一人称で語り、第3部は10年後に当時のエミールの記録をたどる伝記作家の記録という構成になっています。つまりエミールという登場人物が多面的に綴られるのですが、注目すべきはエミールが生み出した「T」という作家が、著者のテリンらしいという点でしょう。著者の創造物である作家が、著者を創造しているという複雑なメタ構成になっているのです。3度語られる同じような場面は、もちろん同じ意味を有しているわけではありません。伝記作家の誤解を解いてあげたくなったのは、著者の術中に嵌まってしまったからですね。

 

もっともこのような3つの視点は、それほど複雑なものではなく、誰でも想像可能なようにも思えます。将来の読者を想定して書かれる日記とは、主観と客観と将来の評価を意識しているものなのでしょうから。結局のところ物語の魅力とは、エピソードの面白さに尽きるのではないかと思えてきます。

 

2022/1