りぼんの読書ノート

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宇宙(そら)へ(メアリ・ロビネット・コワル)

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いわゆる「歴史改変SF」ですが、物語の進行において変えられたことはさして大きなことではありません。それは1950年代に遡って有人宇宙開発計画が加速され、その後も停滞することがなかったこと。しかしそのきっかけはとてつもない出来事でした。1952年にアメリカ東岸沖に巨大隕石が落下し、首都をはじめとする東岸都市部が壊滅的な打撃を受けてしまったのです。大気中に舞い上がった膨大な水蒸気が、数年間のミニ氷河期の後には加速度的な温暖化をもたらし、最後には海水の沸騰に至ると予測されたのです。

 

かくして人類の生存を賭けた宇宙開発計画が始まりますが、いきなり超工学が誕生することなどありえません。それは現実の宇宙開発のように、段階を追ってなされていきます。無人宇宙ロケットの開発から有人宇宙飛行を経て、月面探査や宇宙ステーションの建設までが本書の物語。

 

本書の主人公であるエルマは数学の博士号を有しており、第2次大戦で戦闘機の輸送に従事した元パイロットです。隕石落下時点では、ロケット科学者の夫とともにNASAに勤務していますが、その業務は計算手でしかありません。当時はどんなに優秀な女性でもエンジニアとして採用されることはなく、まして女性宇宙飛行士など想像の外にありました。このあたりは映画「ドリーム」や『ロケットガールの誕生(ナタリア・ホルト)』と共通する物語であり、著者も参考文献としてあげています。

 

しかしエルマの希望は宇宙飛行士となることでした。精神的な不安を抱えつつも信頼する夫の支持を得て、彼女が女性差別を乗り越えていく過程こそが本書の主題なのです。広報活動に携わったことで「レディ・アストロノート」と呼ばれるようになったエルマは、どのようにして女性差別を乗り越えて真の宇宙飛行士へと成長していくのでしょう。本書では非白人差別についても丁寧に描かれており、エルマも黒人女性パイロットやアジア系の計算手と知り合うことで、本人も自覚していなかった偏見を克服していくのですが、差別というものは重層的であることをあらためて教えられます。

 

著者には、初の有人火星探査の後に現役を退いた初老のエルマが当時を回想する『火星のレディ・アストロノート』という中編があるとのことで、本書はその前日譚という位置づけのようです。地球がどうなってしまうのかも関心の的ですが、本書の中で徹底的な環境対策によって絶望的な温暖化を回避しえる未来も示唆されているので、その努力が功を奏したということなのかもしれません。「エルマ・シリーズ」は短編・中編・長編を合わせて9作品もあるとのことですが、それらが翻訳されることはあるのでしょうか。ぜひ全部読んでみたいのですが。

 

2021/9