りぼんの読書ノート

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日本文学全集6 源氏物語 下 概説(池澤夏樹編/角田光代訳)

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1週間かけて『源氏物語』を読み通しました。じっくりと読むやり方もあるのでしょうが、一気読みすることでかえって理解できたことも多かったように思います。まずは素晴らしい現代語訳を提供してくれた角田光代さんに感謝です。

 

下巻は、「宇治十帖」を中心とする光君亡き後の物語になります。編者の池澤夏樹氏は「障害物競争だと思っていたら、ハードルをすべて超えたところから今度は中距離走が始まる」と述べていますが、全く同感です。私としては「障害物競争」を「マラソン」に置き換えたい気持ちですが。ただ宇治の「源氏物語ミュージアム」を訪問して、宇治の物語世界に浸ってきたのはほんの数年前のことなので、まだ記憶に新しかったことが役に立ちました。

 

池澤氏は「明らかに近代文学に属するものが千年前に成立した」ことを「とんでもない奇跡」と語ります。これも全く同感です。登場人物の心理描写が重要な役割を果たす物語というものは、世界的にみてもその後数百年は登場していないのですから。『デカメロン』や『神曲』は14世紀の作品であり、中国で「四大奇書」が成立したのは明代後期の16~17世紀のこと。日本では18世紀に近松門左衛門が登場するまで、軍記や説話や随筆しか生まれなかったように思います。光君あとの下巻では登場人物は小粒になってしまいましたが、その分心理劇の要素は深まりました。薫君、匂宮、大君、中君、浮舟が織り成す物語は「男女5人恋物語」としてTVドラマになっても良いほどに近代的なのです。

 

中でも重要な役割を果たすのは、2人の男性に恋され、理性と感情の矛盾に耐えかねて宇治川に身を投げる浮舟です。角田さんは「実に多くの女性たちが登場してきたこの物語において、なぜ最後がこの人なの?」と自問したそうです。自分の望みを持つこともなく諦観に支配され、運命に抗えずに流されるだけの女性が到達点でよいのか、と言うのです。角田さんの解釈は本書のあとがきを読んでいただきたいのですが、あっけない幕切れの後で彼女自身が選ぶ新しい人生が始まるのではないでしょうか。千年前から現代へと至る読者に委ねられている、オープンエンディングではないのかと思うのです。

 

2021/7