りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

レンブラントの身震い(マーカス・デュ・ソートイ)

f:id:wakiabc:20210312145818j:plain

イギリス王立協会フェローとして啓蒙活動に熱心な数学者である著者が、素数論(『素数の音楽』)、群論(『シンメトリーの地図帳』)、知の最前線(『知の果てへの旅』)に次いでテーマにあげたのは、AI進化の最前線でした。深層学習によってボトムアップアルゴリズムを可能としたAIは、「創造性」において人間を脅かしつつあるのでしょうか。19世紀に詩人バイロンの娘エイダが、バベッジの解析機関を評価した際に定義した「新しく、驚きをもたらし、価値がある」という判断基準をクリアすることができるのでしょうか。

 

著者はAIが得意とする順に、ゲーム、絵画、音楽、数学、文学というアートの世界の状況を調査していきます。チェスや囲碁や将棋というゲームの世界では既に人間をしのいでおり、人間には思いもつかない独創的な着手を見せるほどの水準。「数学を奏でる芸術」である音楽分野では、バッハやモーツアルトなどの大作曲家たちが好む手法を模倣して聞き手を惑わすレベルの作曲が可能。絵画分野ではレンブラントポロックを徹底的に解析させたAIが、弟子レベルの作品を描くレベルを達成。数学分野では定理の証明範囲を広げてはいるものの、価値を判断した上でのテーマ選択は無理であり、文学ではダダイズム的な韻文レベルまでしか達していません。

 

つまり勝利というゴールが明確なゲーム分野を除いては、AIが創るアートは構造を持っていない、すなわち価値判断ができていないというのです。創造の大半はゼロからの出発ではなく既存の系の攪乱であり、AIが得意とすることなのに、なぜAI芸術は人間の心を揺さぶることができないのか。著者は「人間の創造性と意識は複雑に絡み合っている」ために、芸術家が表現する「自己」を持たないAIには、創造力の発揮は難しいのではないかと述べています。そしてAIが意識を持つようになるには、人間と共感し合うためのストーリーテリングが重要ではないかと予測するのです。まさか瀬名秀明さんと同じ結論に達するとは思いませんでしたが、既に私たちは半ばSFの世界に入り込んでいるのでしょう。

 

2021/4