りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ヴェネツィアの恋人(高野史緒)

 

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大胆にもドストエフスキーの『カラマーゾフの兄妹』の続編『カラマーゾフの妹』を書いてしまった著者は、もともとSF系の作家です。『妹』ではコーリャの秘密結社でディファレンス・エンジンやロケット技術の実用化が図られている箇所は浮いていたように思いますが、短編集である本書では、さまざまな制約から離れて自由な連想が生き生きと羽ばたいています。初期の作品も読んでみたくなりました。

 

「ガスパリーニ」

名器の贋作を持つ挫折した女性ヴァイオリニストが、真の名器ガスパリーニを持つ老人と出会います。名器は彼女を選ぶために老人を殺害したのでしょうか。

 

「錠前屋」

処刑されたルイ16世にそっくりの錠前屋は、「神の援軍」たる機械人形部隊を率いて革命に対峙する存在なのでしょうか。しかし亡き皇帝の魂を受け継いだ機械人形は、好きな職業に就いてただ静かに暮らしたかったようなのです。

 

「スズダリの鐘つき男」

「黄金の輪」と称されるモスクワを囲む中世都市群のひとつであるスズダリの修道院には、精神科病棟が併設されていました。そこに赴任してきた精神科医は、患者たちと同様に無限の平原に飲み込まれてしまうのでしょうか。それとも悪魔の声をさえぎる鐘の音によって救われるのでしょうか。いずれにしても彼は正常と異常の狭間に落ち込んでしまいそうです。

 

「空忘の鉢」

実在が確認されていないシルクロード国家の失われた文字を探す考古学者。彼が見つけた青磁器に書かれた文字は、宇宙の神秘を記した究極の文字なのでしょうか。見た者を酩酊させて全てを忘れさせてしまう文字は、軍事衛星写真を通じて世界を飲み込んでいくのでしょうか。

 

ヴェネツィアの恋人」

振り向いてくれない想い人に向かって永遠に愛を語り続ける男と女。作曲家と貴婦人。服地商とバレリーナ。調香師と老嬢。市長と老モデル。画家と農場主夫人。売春宿の客引きと名女優。化学者とお針子。植物学教授と門番女。悪魔的な占い女に頼って何度生まれ変わっても、2人の人生はすれ違い続けます。「君の名は?」と尋ねるタイミングが60歳の時だったら、滝君と三葉も何度も人生をやり直すことになるのかもしれません。

 

「白鳥の騎士」

狂ったルートヴィヒ王と出会った男装の美少女パルジファルは、憧れのワグナーを探し求めてテレビ番組に汚染された地下世界をさ迷い歩きます。はたしてワグナーは実在するのでしょうか。完璧な英雄が存在するのは、テレビの中だけなのでしょうか。

 

「ひな菊」

大教授ショスタコーヴィチが冴えないチェロ奏者ニーナに惹かれたのは、ウィルスによる感染症のせいなのでしょうか。獲得形質が遺伝するというルイセンコ学説が正しいとされた、スターリン時代でしか成立しない物語です。

 

2021/3