りぼんの読書ノート

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ライフ・アフター・ライフ(ケイト・アトキンソン)

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何度も生き返ることが可能だとしたら、人はより良い人生をおくることができるのでしょうか。あるいは世界を救うような正義を実現できるようになるのでしょうか。「もしもヒトラーの権力掌握を阻止できていたら。席はどうなっていたか?」という仮想のもとに書かれた本書は、当初の構想よりも複雑で重層的でフラクタルな作品に仕上がったとのことです。

 

1910年2月の大雪の晩にイギリスで生まれたアーシュラは、臍の緒が首に巻き付いてしまい、すぐに亡くなってしまいます。しかし同じ晩に再び生まれたアーシュラは、医師が間に合ったために救われます。その後も彼女は、幼少期に海岸の大波に飲まれ、兄に放り投げられた人形を取ろうとして屋根から落ち、少女時代にスペイン風邪に罹り、何度も亡くなりますが、そのたびに生き返るのです。彼女には前の人生の記憶はないものの、何らかの災厄を感じて危険を避けることができるようになっていくのです。

 

その後も、兄の悪友に犯されたことから鬱になって誤った結婚をしたためにDV夫に殴り殺されるとか、ロンドン空襲の犠牲になるなど、危機は何度も訪れます。ミュンヘン旅行の際に出会ったドイツ人と結婚したことから連合軍空襲の犠牲となった人生すらあるのです。この時には、後にヒトラーの愛人となるエヴァ・ブラウンの親友にもなっていました。それら全てを回避して行政機関でそれなりの職について定年を迎えるケースも起こるのですが、それは最善の人生だったのでしょうか。この人生においても最愛の弟テッドを含む多くの人々が戦死していました。何よりも、ユダヤ人のホロコーストをはじめとする多くの犠牲者を出した戦争そのものは、避けられないものだったのでしょうか。

 

最終目的がはっきりしているゲームとは異なり、危険を回避して生き延びることだけが、正しい人生の選択とは言い切れません。1930年にエヴァ・ブラウンの伝手で、とあるドイツの政治集団幹部に近づいたアーシュラは、後に総統となる人物を暗殺する決意をするのですが、この場合には彼女の人生は20歳で終わってしまうわけです。そして何度目かの1910年2月がやってくるのですが・・。

 

早くも今年のベスト候補に挙げられるほどに優れた作品です。主人公のみならず、彼女に影響を与え、また与えられる周囲の人物たちも生き生きと描かれているので、独創的なテーマと複雑なストーリーにもかかわらず深く印象に残る作品になっているのでしょう。両親のヒューとシルヴィや、リケジョで子だくさんな母となる姉パメラは、アーシュラを愛し続けて物語の不動点ともいえる存在。奔放で文才ある叔母のイジーは、アーシュラの人生にさまざまな形で影響を及ぼします。ほかにも幼馴染で親友のミリーや、アーシュラと関わったる何人もの男たち、ロンドン防空隊の仲間たち、さらに実家のメイドや犬たちに至るまでが丁寧に、自然な姿で描かれています。粗暴で傲慢ながら政府の要職に就く兄のモーリスだけは、鼻持ちならない存在でしたが。

 

2021/3