りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

無限(ジョン・バンヴィル)

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アイルランドの片田舎に建つ屋敷の中で生死の境をさまよっている老数学者アダムを、家族たちが取り囲んでいるだけの小説なのですが、奥の深さを感じます。

アダムの死を待つためだけに集まっているのは、若き後妻のアーシュラ、父と同名の息子アダム、リストカット常習者の妹ピートラ、息子アダムの妻で女優のヘレン、父親に近づく目的でピートラのボーイフレンドになっているロディ、かつては屋敷の持ち主だったが今は料理番になっている老女のアイヴィと牛飼いのダフィ。そこに、往年のアダムの同僚という正体不明の人物ベニー・グレースが加わります。

実はベニーの正体は、全知全能の神ゼウスの化身のようなのです。話を急ぎすぎました。本書の語り手はゼウスの息子ヘルメスであり、死すべき運命の人間たちの心の内を不死の神々が語ることによって、人間にとって死が有する意味を浮かび上がらせてくることが、本書の主題なのでしょう。

ここに登場する人間たちは皆、世界の居心地の悪さを感じており、自分の人生との間に違和感を持っているのですが、その感覚は、老いたラブラドル犬のレックスにも微妙に気付かれています。レックスは、人間たちがいつも何かを恐れていることを感づいているのですが、それが何かということまでは理解できないでいるんですね。

本書の背景の微妙に改変された歴史が、読者にも居心地の悪さを感じさせてくれます。老アダムは塩水をエネルギーに転換する原理を発見した偉大な学者で、ここは近未来のはずなのに、ポニーで家々を巡る郵便配達夫がいたりして、まるで中世のよう。スコットランド女王メアリがエリザベスを処刑したり、テェコ・ブラーエがケプラーの助手になったりしたとの叙述に気付くたびに、ムズムズしちゃいましたから。

神々は気まぐれに時間を止めたり、美女へレンを追いかけ回したりしているのですが、彼らは、死と愛が同根であることに気付いています。そして死にゆく老アダムに人生を反芻させ、全ての不安の根源は死であるものの、死を前提とするからこそ、この世界が人間にとって光り輝くものであることを悟らせるのです。

重いテーマと展開であるものの、読後感は爽やかです。最後にもたらされるちょっとした驚きの朗報も効果的であり、本書が計算され尽くした小説であることを示しています。

2011/1