りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

何があってもおかしくない(エリザベス・ストラウト)

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前作の長編『私の名前はルーシー・バートン』の姉妹編にあたる連作短編集です。といっても直接ルーシーが登場するのは1作のみで、他の8作は彼女の出身地である、イリノイ州アムギャッシュという架空の田舎町に住む人々が主人公。それぞれにルーシー一家との繋がりを有しており、人と人との出会いに伴う痛みや喜びを感じながら生きています。 

 

「標識」 

ルーシーが通った小学校の用務員であったトミーは、貧しく無口だったルーシーのことを思い出しながら、ルーシーの兄ピートの家を訪ねます。ピートはトミーが有していた酪農場が焼けたのは、父親の放火のせいだと思い込んでいました。一方のトミーは、その火事の晩に神と遭遇したとの思い抱いていたのです。 

 

「風車」 

ルーシーの姪ライラを教える未亡人のパティは、母と教師の不倫で崩壊した家族のことを思い返します。現在は年上の男性チャーリーに惹かれていることを友人のアンジェリーナに打ち明けますが、彼はベトナムから帰還後PTSDになっているというのです。 

 

「ひび割れ」 

パティの姉リンダは夫婦で民泊を営んでいるのですが、夫には悪癖がありました。リンダがそれを黙認しているのは、かつて可愛い「ナイスリー・ガールズ」と呼ばれた姉妹が、母親の突然の別居で不幸に落とされた体験のせいかもしれません。 

 

「親指の衝撃論」 

チャーリーが商売女と浮気をしているのは、PTSDを病んでいるせいなのでしょうか。その女から大金をねだられて、妻の貯金から払ってあげた彼は、発作に襲われます。 

 

ミシシッピ・メアリ」 

アンジェリーナの母メアリは、70歳を過ぎてから家を飛び出し、若い恋人とイタリアで新しい生活を始めています。母に複雑な思いを抱えながら再会した娘は、かつて母が大草原に住む女の子の話を読んでくれたことを思い出します。動き続けることが「アメリカの流儀」なのでしょうか。2人の会話から、娼婦に大金をつぎ込んだチャーリーが妻から追い出されて、パティとつきあっていることがわかります。 

 

「妹」 

兄のピートが1人で暮らししている実家に戻ってきたルーシーは、姉のヴィッキーから母親から虐待された思い出を話されてパニック発作を起こしてしまいます。3人兄妹が、家で泣くことを両親から禁止されていたことを思い出したのです。姪のライラが進学を決めたとかの、良いニュースもあったのですが。 

 

「ドティーの宿屋」 

娼婦に大金を払って鬱状態になったチャーリーを、その晩泊めてあげたのは、ルーシーの遠縁にあたるドティが営むB&Bでした。嫌な客を追い出した翌朝、ドティはチャーリーのことを思い出します。初老でPTSDのチャーリーですが、さぞ素敵な男性なのでしょうか。 

 

「雪で見えない」 

この話だけは、ルーシーの地元とは関係ありません。ドティが追い出した嫌な客が「くだらん女」と話していたアニー・アプルビーは、16歳の時にメイン州の田舎を出て舞台女優になった女性。帰省して老いた祖母と話したアニーは、友人の家でDVが起こっていたことを知らされます。そしてアニーの父も異常な性癖があったというのです。 

 

「贈りもの」 

ドティの兄エイベルは会社経営を任されている社会的な成功者。新刊本の販促ツアーでシカゴに来ていたルーシーにサインしてもらった時に味わったのは、幸福感だったのでしょうか。そして、最後の時を迎えようとしているエイベルは「誰にでも、何があってもおかしくない」と思うのです。 

 

複雑な人間関係をたどるだけでも一苦労でしたが、全てのエピソードから浮かび上がってくるものは、ルーシー・バートンの回想録にあるという「人間は他者より優位を感じていようとするものだ」との言葉なのでしょう。そしてそれが「いかにつまらないことか」ということこそが、ルーシーが貧乏の中から発見した哲学なのです。 

 

2020/3