りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

走る赤(武甜静 ウー・テンジン)編

最近、中国SFの沼に嵌まっています。本書は「現在最前線で活躍している中国の女性SF作家14人の傑作短篇集」なのですが、なぜわざわざ「女性」と銘打ったのかについては、少々違和感がありました。ただしこれは既に40%近い中国SF作家の男女比を意識したものというより、まだ女性の書き手も読者も少ない日本SF界の事情を鑑みた結果なのでしょう。本書を読んでいる間は、書き手の性別などまったく意識することはなかったことを付記しておきます。

 

「独り旅」夏笳

廃れてしまった思い出の地を懐古する老人の孤独感、寂寥感は、宇宙開拓が進んだ時代においても、今と変わらないようです。

 

「珞珈」靚霊

タイトルは武漢大学敷地内の山の名前。実験に失敗した大学生たちが開いてしまった、反物質粒子を吹き出すワームホールに対峙した老用務員がとった行動とは?

 

「木魅」非淆

日本の幕末に登場した黒船宇宙船が遺していった異星人に、倒幕の志士たちが襲い掛かります。『銀魂』のような設定ですが、こちらはコミカルではありません。

 

「夢喰い貘少年の夏」程婧波

日本の三重県を舞台にした妖怪ファンタジーです。これは親友を失った少年の妄想なのでしょうか。

 

「走る赤」蘇莞雯

事故に遭ってから目覚められず、入院し続けている少女の意識がゲーム世界に囚われてしまいます。春節の紅包くじとなってしまった少女は、リセットされることなく逃げ続けられるのでしょうか。映画「レディ・プレイヤー1」の原作『ゲームウォーズ』を思わせますが、少女の実体世界が存在しないことが悲しい。

 

メビウス時空」顧適

事故に遭った主人公はロボットを操縦して生活していましたが、やがて意識だけの存在となることを選択。三次元生物であることを止めた意識は、時空を超えることができるのでしょうか。

 

「遙か彼方」noc

サイバー世界のその他大勢であるNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、彼らを取り巻く世界から脱出することができるのでしょうか。『百億の昼と千億の夜』を思わせる作品です。

 

「祖母の家の夏」郝景芳

既にお馴染みの作家です。引退して科学実験を続けている祖母は、何を生み出したのでしょう。「おばあちゃんの知恵」と最先端の科学の奇妙な合体が楽しい作品です。

 

「完璧な破れ」昼温

完璧なコミュニケーションを実現する絶対言語は、不和を一掃できるのでしょうか。言語が反映する内心は複雑すぎるので「破れ」させるしかないのかもしれません。しかし「破れた世界」を補っていく言語的な努力は必要なのです。

 

「無定西行記」糖匪

北京からペテルブルクへ道路を敷設する旅などに意味はあるのでしょうか。エントロピーが増大していく世界では、放っておいても秩序は生まれるというのに。異種族コンビによる『西遊記』は意外な結末を迎えます。

 

「ヤマネコ学派」双翅目

17世紀に設立されてガリレオも所属したという「ヤマネコ学派」は実存した組織です。本書では人とネコ族が共存してひたすら科学の心理を深めていく「学究の理想形」が描かれています。ニュートンライプニッツアインシュタインシュレディンガーらの傍には常にネコ族がいたのです。本書の中で一番好みの作品でした。

 

「語膜」王侃瑜

もし母親が架空言語の語学教師だったら、「母語」にはどのような意味があるのでしょう。息子が英語を選んだ時、母子の間のコミュニケーションはディスコミュニケーションに変容してしまうのでしょうか。

 

「ポスト意識時代」蘇民

不安障害患者の増大に気付いたカウンセラーは、自分も強い不安に襲われてしまいます。「自意識とは時代のミームにすぎない」という設定には恐いものがあります。

 

「世界に彩りを」慕明

電子チップつきの網膜調整レンズは、人々の視覚と意識にどのような変化をもたらすのでしょう。通常の三色型色覚ではなく、一億種類もの色を見分けられる四色型色覚を有する者は、調整レンズを入れられないのですが、両者が生きる世界はどのように異なってしまうのでしょう。

 

2022/11

獅子の門8 鬼神編(夢枕獏)

格闘家世界一を決定する総合格闘技大会において命懸けの死闘が繰り広げられ、一人、また一人と、選手たちがリングに身を沈めていきます。麻生も、マリオも、ヒョードルも、赤石も、室戸も、岩神も姿を消していく中で、最後に勝ち残ったのは誰だったのでしょう。しかし決勝戦が行われないなどという事態は、さすがに読者の予想の斜め上を行ってくれますね。

 

そしてこのシリーズの読者の誰もが待っていた、羽柴彦六と久我重明の宿命の対決がついに行われます。もちろんそれは正式の試合ではありません。誰にも知らせずに決闘をおこなうようなものですが、闖入者も現れます。著者はまだ、鹿久間源や鬼頭準之介の闘いを描き切ってはいなかったのでしょう。もちろん彼らが頂上決戦の行方に影響を及ぼすなどありえないのですが。

 

頂上決戦に至るまで、5人の少年たちを含めて多くの格闘家たちが登場し、自分だけのドラマを抱えて死闘を繰り広げていきました。もはや「闘う」ことについての描写は、いかに著者といえども描き尽くしてしまった感もあります。全8巻の長いシリーズの掉尾を締めくくる闘いにしては、わずか40ページの描写は短い感もありますが、さすがにアンチ・クライマックスとはなりません。「風が吹いてゆく」が繰り返されるエンディングは、余韻というよりも残心に近いものを感じました。

 

思えば本書における久我重明は、「陰陽師シリーズ」における蘆屋道満のような存在でした。悪役でありながら、主人公の安倍晴明とは不思議と心が通じ合っているような人物なのです。著者が「久我重明バージョンの新しい物語を描いてみたい」という気持ちも理解できます。ただし、途中から影が薄くなってしまった5人の少年たちの「その後」のほうも気になります。

 

2022/11

獅子の門7 人狼編(夢枕獏)

新たな総合格闘技大会の開催が決定。NKトーナメントで優勝した武林館の麻生や、若手の大会で優勝した室戸武志、ブラジリアン柔術の第一人者マリオに敗れて武者修行を繰り返してきたプロレスラーの赤石元一らの出場は決定していますが、それを不服とする鳴海と鹿久間はリザーブマッチへの出場権を獲得。本戦トーナメントの誰かが棄権した場合に出場権利を有することになります。誰もが実力者揃いである大会では、勝者も傷ついて次の試合を戦えないケースが想定されているのですね。

 

このシリーズはもともと志村礼二、室戸武志、加倉文平、武智完、芥菊千代という5人の少年たちが格闘家へと成長していく過程を描く構想だったようですが、既にそこから大きくはみ出してしまっています。少年たちを見出した放浪の太極拳の達人・羽柴彦六と、彼のライバルである最凶の男・久我重明の宿命の対決を描きたくなったことに加えて、現実世界での総合格闘技の興隆にも刺激を受けたことによるようです。まだ成長途上にある少年たちが主役の座を降りざるを得なかったのも仕方のないことでしょう。

 

この巻ではさらにもうひとり、興味ある格闘家が登場します。柔道の投げ技こそ最強と信じて疑わない岩神京太です。確かに床や壁がコンクリートや鉄柱であるなら、全てを投げることができる男が最強なのかもしれません。相手を転がせば剣で首を取れるルールであるなら、相撲の力士が最強と言えるのと同様に。本書の格闘シーンで反則技がたびたび登場するのは、ルールと観客に縛られた総合格闘技では計り得ないダークな部分があるためでしょうが、そんな中で美しい勝ち方に拘る男の登場はかえって新鮮でした。事実、岩上・鳴海戦は、このシリーズで最も魅力ある試合のひとつでした。

 

格闘家世界一を決定する頂上決戦の時が迫っています。そして羽柴と重明の対決の時も。

 

2022/11

獅子の門6 雲竜編(夢枕獏)

「スーパーバイオレンス格闘小説」の第6巻では、若手格闘家たちが結集した武林館トーナメントが、佳境に入っていきます。武林館期待の若手・加倉文平を倒した巨漢・室戸武志と決勝戦を戦うことになるのは、刃物のような志村礼二と、無尽蔵のスタミナを有する芥菊千代のどちらになるのでしょう。かつて志村の反則負けに終わった因縁の再戦は、またしても壮絶な死闘となり、誰もが予想しえなかった結末へと至ります。

 

その一方で、K1がモデルのようなNKトーナメントが開催され、菊千代の師である鳴海や、彼の宿命のライバルである麻生らが出場。過去に優勝経験があり本命視されていた外国人格闘家らを破って、決勝に進出したのは、この2人でした。格闘場面の描写は凄まじいのですが、それだけでは小説は成り立ちません。おのずと両者の因縁や、過去の体験などが挿入されていきます。しかし因縁や体験というストーリー性だけで勝負がつくのもでもないのです。では勝負を決めるものは何なのでしょう。それこそが、このシリーズの最初からのテーマなのかもしれません。

 

新たに2人の格闘家が登場してきます。ひとりは鳴海の師であった天城の新たな弟子となった鹿久間源。柔道師範であった天城の表の技を学んだのが鳴海であるなら、暗い一面を有していた天城の裏の技を学んだのが鹿久間でした。ダークな技の使い手でありながら飄々とした性格を有する鹿久間というキャラには、著者も魅せられたようで、このシリーズが若手たちの「武林館トーナメント」で終わらなかった理由のひとつだそうです。もうひとりは古いタイプの柔術家である鬼頭準之介であり、どことなくシリーズの悪役である久我重明に似た雰囲気の持ち主です。物語は当初の著者の構想を超えて転がり続けていくようです。

 

2022/11

竹光始末(藤沢周平)

著者初期の時代小説6作からなる短編集の内訳は、武家ものが4作と市井ものが2作。武家もののうちの2作の舞台が海坂藩であり、表題作は映画「「たそがれ清兵衛」にも使われたエピソードです。鶴岡市に行く機会があったので直前に読んだのですが、あまり参考にはなりませんでした。

 

「竹光始末」

仕官の推薦状を持参して訪れた浪人に、海坂藩の御物頭は当惑します。新規召し抱えはとっくに終わっていたのですから。それでも浪人の潔さに惹かれた御物頭は、上意討ちの討手という機会を与えてくれたのですが、彼の剣は竹光だったのです。武家勤めの過酷さも、浪人暮らしの厳しさも、辛いものです。

 

「恐妻の剣」

妻の尻に敷かれている婿は、子供達からも見くびられているようです。しかし剣の使い手だった彼に、藩の運命を左右しかねない密命が下ります。職場での評価と家族内の評価は一致しませんね。

 

「石を抱く」

博奕の世界から足を洗って店者となっている男は、店の若女将を苦しめているヤクザな弟に釘を刺そうとするのですが、全てが裏目に出てしまいます。強盗殺人の容疑で拷問にかけられた男は、いったい何に耐えているのでしょう。男の意地とは厄介なものです。

 

「冬の終りに」

慣れない博奕で大勝ちしてしまった職人が、胴元の配下から付け狙われてしまいます。追われた先で偶然出会ったのは、胴元に因縁を持つ男を夫に持つ女性だったのですが・・。珍しくハッピーエンドのようです。

 

「乱心」

妻女に不義の噂が立った剣友の心配は、杞憂では終わりませんでした。しかし問題の真相は別のことろにあったのです。これは男を惑わす美女の物語なのでしょうか。それともインセル男の物語なのでしょうか。

 

「遠方より来る」

海坂藩士のもとに仕官を求めて転がり込んできた浪人は、かつて大阪の陣で知り合った武士でした。いかにも豪快な印象の浪人は、藩の上士から受けが良かったのですが、実はかなり残念な男だったのです。珍しくコミカルな作品でした。

 

2022/11

まっとうな人生(絲山秋子)

塩野七海さんの「小説イタリアルネサンス」の28年後の続編にも驚きましたが、本書にも驚きました。著者初期の傑作『逃亡くそたわけ』の17年ぶりの続編なのです。

 

かつて名古屋出身の「なごやん」と一緒に精神病院を脱走し、九州を縦断する逃走劇を繰り広げた「花ちゃん」は、バイト先で知り合ったアキオちゃんと結婚して10歳になる一人娘・佳音の母となっていました。躁鬱病は小康状態に入っており、時々は別人格が目覚めそうな気分もするものの、夫の郷里である富山でまあまあ普通の暮らしをおくっています。そんな折、ひょんな場所でなごやんと再会。彼もまた結婚して父親となり、富山で暮らしていたのです。劇的な再会ですが花ちゃん曰く「ただの再会」。そもそもこの2人の間にあったのは、不思議な友情でしたね。

 

家族ぐるみの交流を始めた両家でしたが、新型コロナウイルスの感染が始まってしまいます。世界中の人々と同様、富山の生活も一気に閉鎖的になってしまいます。県内では感染患者も発生していない頃から、買いだめが始まり、他県ナンバー車を怪しみ、学校は閉鎖され、会社はリモートになり、マナー警察が横行。確かに2020年春は、日本中がそんな雰囲気でした。

 

そんな中で花ちゃんは考えざるを得ません。「他者との軋轢を避けながら、周囲の人々と共に、自分の日常を大事に生きる、地に足のついた生き方」だけが「まっとうな人生」なのだろうかと。富山県民が誇る立山は眩しすぎるし、呑気な地元民や義父母にはイライラさせられるし、なごやんとの関係を疑う夫には不信感を抱くし、フェスに行くというなごやんにも苛立ってしまう。でも、まっとうな生き方とは、真面目に生きることだけではないのでしょう。「リスクを減らすことは賢明ではあるけれど、回避したことには実体がない」のですし、「正解を求めれば求めるほど、人生は希薄になっていく」のです。

 

『逃亡くそたわけ』で「しかぶる」とか「まりかぶる」などの方言が重要な役割を果たしていたように、本書でも富山弁がいい味を出しています。東京出身で現在は高崎で暮らしている著者ですが、まるで故郷であるかのように富山暮らしのデテイルで溢れています。今年の春に富山に行ったばかりですので、よくわかる。また、なごやんが書いた劇中劇の主人公たちが、飛び立つ飛行機を眺めている場面からは、『離陸』の死生観を感じてしまったのですが、「読みすぎ」かもしれません。

 

2022/11

小説イタリア・ルネサンス4.再び、ヴェネツィア(塩野七生)

まさか1990年前後に出版された「小説イタリア・ルネサンス3部作」の続編が、30年近くたってから書かれるとは思ってもいませんでした。しかも『ローマ人の物語』以降は歴史ノンフィクションばかり執筆してきた著者の年齢は、80歳を大きく超えているのですから。TV番組でイタリアを語る役割も、既に山崎マリさんに交替して久しいのですし。ただし本書の前半は、これまでもルネサンス期の政治・外交・芸術論が中心であり、後半は既著『レパントの海戦』の焼き直しという感じです。既読感がつきまといますが、仕方ないところでしょう。

 

ただしマルコの私生活面では大きな変化がありました。それは亡き親友アルヴィーゼの遺児で、尼僧院で育てられているリヴィアとの関係。尼僧院で育った少女を外界に出すための一般的な方策は貴族との結婚であり、マルコはそのために彼女を妻に迎える覚悟を決めていたのですが、それ以外の方法もあったのですね。それもリヴィアにとって、亡きオリンピアを永遠の心の妻と定めているマルコと形式的な結婚をするよりも、はるかに良い方法が。

 

政務の要職に復帰したマルコは、敬愛する元首グリッティ亡き後のヴェネティアの舵取りに努めます。芸術家や出版社や学者たちとの関係を深め、ローマやコンスタンティノープルへも再訪を果たせたのは、ヴェネティアを取り巻く政治状況が小康状態であったため。皇帝カルロス亡き後のハプスブルクは、スペインとドイツ・オーストリアに分かれ、スペイン王フェリペ2世はネーデルランド一帯の反乱に苦しめられます。フランスは国内の新旧キリスト教徒の対立を収拾できず、ドイツ諸都市も統一にはほど遠い状態。エリザベス1世が即位したイギリスも、国際的にはまだ力不足だったのです。

 

脅威となったのは、やはりオスマン・トルコでした。スレイマン大帝亡き後に即位したセリムは領土的な欲望を隠そうともせず、キプロスへと軍を進めたのです。その後の進展は『レパントの海戦』の通りですが、ヴェネティアとの利害関係を異にするローマ、スペインとの調整がマルコの中心任務だったということですね。東地中海が「世界の中心」であった最後の時代に、斜陽の共和制都市国家を率いた現実主義者の政治家の物語は、こうして幕を閉じたのです。

 

2022/11