りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

トラウマ・プレート(アダム・ジョンソン)

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著者は1967年にサウスダコタで生まれ、アメリカ各地の大学で学位を取得した後にスタンフォード大学の嚆矢となり、2002年に本書で作家としてのデビューを果たしています。「テーマも題材も設定も語り口も味わいもそれぞれにユニーク」な9編からなる短編集は翻訳者泣かせだったようですが、読者としては間違いなく楽しめる1冊です。

 

ティーン・スナイパー」

15歳で警察の狙撃班リーダーを務めている射撃の天才少年の唯一の友人は、ROMSと呼ばれる爆弾処理ロボットでした。そんな少年が不器用な恋をした時にROMが殉職してしまいます。

 

「みんなの裏庭」

警官を辞めて動物園の警備員になった男の仕事には、亡くなった動物の死骸を裏庭に埋めることも含まれていました。男の中で、ますます粗暴になっていく息子と逃げ出した猛獣のイメージが重なっていきます。

 

「死の衛星カッシーニ

癌患者たちのサークルがチャーターしたバスの運転手をしている青年は、そのサークルを設立した母親を失ったばかりです。新しく加わった重症患者の少女に恋してしまった青年の今後も心配ですが、カテーテルを挿し込んだ身体でバス旅行を楽しむ患者たちのイメージが強烈すぎます。

 

「トラウマ・プレート」

防弾チョッキレンタルショップの娘は、防弾チョッキをつけて通学しているうちに、それなしでは不安でたまらなくなってしまいます。そんな彼女が胸につけているプレートを割って「事象の地平線」を超えさせてくれるのは、初恋相手なのでしょうか。

 

アカプルコの断崖の神さま」

レース中の事故、猛獣との遭遇、麻薬がらみのトラブル・・スリルを求める者は断崖と海の間にある街で営まれている生活があることに気づいていないのでしょう。人間の姿になって人間の女を求める神が、その後の女や子供のことを気にしていないように。

 

「大酒飲みのベルリン」

危ない異名を持って危ない仕事をしている父親を持つ少女が恋した相手は、ATF当局の候補生となった青年でした。父親からも恋人からも自立している少女ですが、やはり心が揺れ動くときもあるのです。

 

「ガンの進行過程」

重要なものを取り除いたあとの空洞には、奇妙なものが育つことがるようです。性に目覚めつつある少年の好奇心も、無理に除去してはいけないのでしょう。

 

「カナダノート」

ソ連が打ち上げた人工衛星に対抗しているのは、アメリカではなくカナダの研究員たちという世界。大急ぎで作り上げたロケットは小さすぎたのですが、意外な人物が搭乗員に選ばれます。そして巻き起こる大騒動・・という「ばかばなしくて爽快な、ヒロイックファンタジー風不条理劇」です。

 

「八番目の海」

酔って些細な罪を犯した19才の青年が社会人再教育の講習会で出会った女性は、大学の同級生の母親でした。年の離れた男女の恋愛という普通の物語のようですが、2人を取り巻く環境は普通ではありません。心が揺れ動く瞬間を切り取るのが上手な作家です。

 

2022/5

サムのこと 猿に会う(西加奈子)

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著者の初期の3篇が編まれた短編集ですが、女性アイドルグループメンバーによるドラマ化に合わせて202年3月に出版されました。3作とも「何かが動いた瞬間」を力強く切り取った作品ですが、ドラマではアイドル主演ということで、かなりの変更が加えられているようです。

 

「サムのこと」

そぼ降る雨のなか、突然の死を迎えた仲間サムの通夜に向かう20代の5人の男女。まだ定職にもついておらず、毎日を流されているように生きている5人の会話から、不在であるサムの姿が浮かび上がってきます。それは常識人であるがゆえに、仲間の輪に入り切れない孤独な青年の姿です。しかしサムの死は、残された5人が「これからの長い日常」を意識するきっかけになったのかもしれません。

 

「猿に会う」

20代半ばになっても恋人もできない幼馴染の3人の女性たちが占いに行ったのは、やはり何かを変えたかったのでしょう。しかしその占い師は顔の特徴から性格を判断するだけの、いい加減なものでした。「細い目、出っ歯、大きな耳」から「疑い深い、おしゃべり、地獄耳」なんて言われても困りますよね。東照宮に旅行した3人が「三猿」と出会ったのは、とても偶然とは思えないのですが・・。

 

「泣く女」

小説家志望の友人と一緒に、津軽まで太宰治の生家を訪ねる旅に出た野球部の高校生。彼らが竜飛岬で出会ったのは、雨の中で岬に佇み、さっきまで涙を流していたような女性でした。なんてことのない体験ですが、女性の笑顔を見て青空の竜飛岬を想像できるようになったことは、彼らの成長を意味しているのでしょう。

 

2022/5

 

ノック人とツルの森(アクセル・ブラウンズ)

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ドイツでも「ゴミ屋敷」の問題は頻発しているそうです。家の中を身動きもできないほどゴミで埋め尽くす住人の多くは、ひとり暮らしで精神を病んでいるのでしょうが、子供がいる場合には事態は深刻になります。親が子供の養育を半ば放棄していても、子供は外部に助けを呼べないのですから。

 

本書は、そんなゴミ屋敷で育つ小学校低学年の少女アディーナの物語。父親は既に亡くなっており、母親カーラは家中を「ああ、これは大切」、「とても捨てられない」、「よく見てみないと」、「そのうち片づける」などと分類したガラクタで埋め尽くしています。弟のポールは、崩れ落ちたゴミの中で亡くなってしまったのですが、カーラはそのことも外部には告げていないようです。そしてアディーナはカーラにきつく言い渡されているのです。ドアをノックする「ノック人」とは決して話をしてはならず、彼らを家に入れたら全てがおしまいになると。

 

アディーナにとっては母の言うことが全てです。家では育児放棄され、学校では「くさい」と虐められても、ただじっと耐えることしかできません。そんな彼女が郊外の野生動物保護区域に迷い込んだ時に出会ったのが、近所に住んでいたエアラでした。野生のツルの保護員であるエアラは、以前に男性に裏切られて傷ついてからひとりで暮らしているようです。彼女たちが観察するツルたちの生態は、決して人間たちの理想や願望を反映してくれはしないのですが、孤独な者どうしの世代を超えた友情を育んでくれました。アディーナは家の外の世界を知って成長し、エアラも過去の傷を克服していくようです。しかしそこで悲劇が起こります・・。

 

本書の舞台であるハンブルクで生まれ育った著者は、自閉症児であった過去があるとのこと。カーラとアディーナが暮らす家の中は、自閉症患者の内的世界が拡大されたようなものなのでしょう。アディーナが素敵と思うことを「溶岩級」、「雲級」、「桜級」、「軽石級」と順番づけているような特殊な用語も、著者の過去の内的世界で生まれたものかもしれませんね。そんな特殊な用語が、アディーナが本来持っていた明るさを守ってくれたようにも思えます。

 

2022/5

十二月の十日(ジョージ・ソーンダーズ)

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ブッカー賞を受賞した『リンカーンとさまよえる霊魂たち』は、病死した息子の霊に救われるリンカーン大統領の物語でしたが、こちらは短編集。もともと短編小説の名手のようで、荒唐無稽なSF的設定が社会を風刺する装置となっていたり、救済や希望を感じさせたりする作品も多いとのこと。本書はそんな著者の魅力を十分に堪能できる一冊です。

 

「ビクトリーラン」

暴漢に襲われそうになった隣家の少女を、無我夢中で助けに行った少年は、暴漢を殺害してしまったのでしょうか。それとも・・。彼は内面化された両親の声を打ち破って、自分の良心に従う道を選んだのです。

 

「棒切れ」

わずか2ページの掌編です。父親が庭に立てて軍服や季節の衣装を着せていた鉄パイプには、どのような意味があったのでしょうか・

 

「子犬」

プアホワイトのDV女にとっては、子供を虐待することと、子犬を売り払うことは同等なのでしょうか。

 

「スパイダーヘッドからの逃走」

人間の感情を操る新薬の治験者として服役中の囚人は、他者に最悪の絶望感を体験させる選択を迫られて、自分を犠牲にする道を選びます。本当にゲスなのは、ろくでなしの犯罪者なのか、高学歴で冷静な薬品開発者なのか。一瞬で目の前の相手に深い愛情を抱かせたり、消し去ったりするようなことは、人間の所業ではないのでしょう。

 

「訓告」

何のための訓告かは不明ですが、「大義のためだが人道的に問題があり、精神を蝕まれるような仕事」とは、とてつもなくおぞましいことのようです。

 

「アル・ルーステン」

地元のチャリティショーに出演して失笑された中年男は、妄想と現実のはざまで自分を失ってしまいそうです。息子の劣等感を刺激しながら育てた母親に、大きな責任があると思うのですが。

 

「センブリカ・ガール日記」

クラッチに当選した中年サラリーマンは、誕生日を迎える娘のために、念願の「SG飾り」を庭に設置します。社会的ステイタスとされる「SG飾り」の正体はおぞましすぎますが、世界中で移民や難民がひどい扱いを受けていることを思うと、既に現実世界も同程度にひどいものなのかもしれません。日本だって他人事ではないのですから。

「ホーム」

故郷の街に居場所を見つけられない帰還兵が、暗い暴力の衝動をコントロールできなくなるまでには、どのような出来事があったのでしょう。

 

「わが騎士道、轟沈せり」

中世を模したテーマパークで働く青年が、薬物によって中世騎士の精神を纏ったことで破滅に追い込まれてしまいます。高潔さと勇敢さが似合わない世界に、私たちは生きているようです。

 

「十二月の十日」

孤独ないじめられっ子の少年と、病に侵されて自殺しようとしている男が偶然に出会ったことで、互いを救済することになるとは、いったい誰が想像できたでしょうか。

 

2022/5

行く、行った、行ってしまった(ジェニー・エルペンベック)

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中東や北アフリカでの紛争を背景としてヨーロッパに流入し続けた難民のピークは2016年でした。はじめは積極的に難民を受け入れていたドイツも、最終的にはトルコなどヨーロッパ手前の国に難民の通過を認め内ように依頼したことで流入は減少。さらには永住許可の条件を満たしていない人々が出身国に送還される事例も増えているとのことです。

 

ドイツに流入する難民が増加しはじめた2015年に書かれた本書は、難民問題に正面から向き合っています。シェンゲン協定国の間での責任範囲を定義したダブリン規約の矛盾や、ドイツ政府と社会の矛盾を指摘しますが、本書は論文ではありません。ひとりひとりの難民にそれぞれの人生があることを静かに訴えかける文学的な主張が、読者の心に染み入ってくるのです。

 

元大学教授のリヒャルトは、アフリカから来た難民たちがベルリンの広場を占拠していることに気付きます。はじめにボートでイタリアにたどり着いた彼らは、ドイツでの難民認定どころか庇護を申請する資格しかないというのです。やがて処分が決まるまで暫定的に施設入居を認められた難民たちに関心を抱いたリヒャルトは、彼らにインタビューを始めます。彼らの物語を聞いたリヒャルトは、彼らとの交流を積極的に開始するのですが・・。

 

本書が文学的に優れているのは、リヒャルトと難民を最後まで対等の関係に置いているからなのでしょう。もともと東ドイツ国民で「祖国」を失った経験を持つことや、5年前に妻を亡くしたことだけが、難民と交流を持つようになった動機ではなかったのです。終盤で2度繰り返される「どこへ行けばいいかわからないとき、人はどこへ行くのだろう?」という問いは、難民たちだけではなく、リヒャルトへも投げかけられた言葉であることは明らかなのですから。

 

2022/5

東京のぼる坂くだる坂(ほしおさなえ)

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アラフォーで母と二人暮らしの蓉子が、幼い頃家を出ていった父の訃報をきっかけに、東京中の坂を転居して回った父の足跡を辿り始める物語。幼い頃の娘に向かって「のぼり坂とくだり坂のどちらが多いか」というなぞなぞを出していた父親は、なぜそれほどまでに坂のことが好きだったのでしょう。

 

精細なイラストマップつきで多くの坂道の説明が含まれる本書は、通常の小説の域を超えています。この本を片手にして、東京の坂道を巡る散歩旅を楽しめそうなほどなのです。幽霊坂(三田)、闇坂(山王)、狸穴坂(麻布台)、梯子坂(東新宿)、胸突坂(目白台)、別所坂(中目黒)、王子稲荷の坂(北区岸町)、くらぼね坂(国分寺)、異人坂(根津)、桜坂(田園調布)、三折坂(下目黒)、明神男坂(神田)、氷川坂(茗荷谷)、本氷川坂(赤坂)、相生坂・赤城坂(神楽坂)、蛇坂(赤羽西)、蓬萊坂(大森)と連なるラインアップは、それぞれの魅力に満ちています。

 

やがて蓉子は、父の人生がゆっくりと坂を下っていくようなものであったことを知り、そんな人生を愛した父がひとつの場所やひとりの女性に縛られるのを避けたのではないかと想像するに至ります。それを父が生きた証とはいえ、自分勝手な生き方であったことには違いないのですが、なぜ母はあっさり父親と別れたのか。父親と、母親と、蓉子自身の人生模様の背景として、坂のある風景は似合いすぎますね。

 

起伏の多い東京ではわざわざ坂道を訪ね歩こうとは思いませんが、大阪の上町台地坂上谷町筋と坂下の松屋町筋を結ぶ「天王寺七坂」を歩ったことがあります。由緒ある寺社も多く、ところどころ敷石道や階段にもなる坂道をのぼりくだりするのは疲れましたが。心地よいものでした。東京でそれをしようとしたら、百倍以上の覚悟が必要かもしれません。

 

2022/5

プラヴィエクとそのほかの時代(オルガ・トカルチュク)

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舞台となるプラヴィエクは、ポーランド南西部の国境地帯にあるとされる架空の村のこと。ここは宇宙の中心であり、四方を守護天使たちに護られているものの、激動の20世紀の世界情勢とは無縁でいられません。物語が始まった時にロシア領であった村は、やがて独立ポーランドの一部となります。後にはドイツとソ連の戦闘の最前線となったり、東欧ブロックの一部とされたり、連帯運動が起こったりと、世界は村を放っておいてはくれないのです。しかし村を決定的に変容させていくのは、村人たちの動向です。

 

本書は、「天」を意味する「ニェビェスキ」一家と「神」を意味する「ボスキ」一家が結びつき、彼らの子孫たちが世界に向かって出ていく物語といっても良いでしょう。ミハウとゲノヴィファのニェビェスキ夫婦が生んだミシャは、やがてボスキ家の長男パヴェウと結婚。彼女が生んだ子供たちは皆、村を去ってそれぞれの家族を持って村には帰ってきません。没落領主ボピェルスキも、浮浪女クォスカの娘ルタも、パヴェウの姪も同様です。やがて1980年代後半になって、末娘のアデルカが父親のしれない娘を連れて何処かへと去っていくところで物語は終わります。

 

人々の系譜は男系ではなく女系で結びついているようです。それは垂直的な関係ではなく、菌糸によって水平的に広がっていくキノコに例えられています。上も下も始まりも終わりもなく、勝利も変革も意味を持たず、ただただ護り、与え、繋げていく場所であるかのようなプラヴィエクは滅びてはいません。むしろそこから生まれ出た菌糸が世界へと広がっていくと理解したいものです。著者の母国であるポーランドは多くのウクライナ難民を受け入れましたが、男系家父長の象徴ともいえるプーチンの支配を打ち砕くものは、菌糸のように結びついたネットワークだと信じたいものです。

 

2022/5