りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

夏の家、その後(ユーディット・ヘルマン)

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1970年生まれの著者はドイツの「ゴルフ世代」だそうです。フォルクスワーゲン・ゴルフに代表される消費文化につかり、日常生活のクォリティを大切にし、国境を超えて移動することに馴れているグローバル世代。そんな世代の著者による短編集は、これまでのドイツ作家に多く見られる歴史的・政治的な出来事を背景に退け、アメリカや日本の作家の作品といっても通用しそうなものも含まれています。個人的には、もっとドイツ固有のテーマが好みなのですが。

 

「紅珊瑚」

革命前のロシアで決闘で死んだ夫の形見の紅珊瑚の腕輪を、ひ孫にあたる女性が失うことになったのは何故だったのでしょう。しかし彼女の恋人はもう、その物語を聞くことはできません。

 

「ハリケーン(サヨナラのかたち)」

カリブ海のリゾートでバカンスを楽しむ2人の若い女性は、島を襲うハリケーンがお祭り騒ぎではないことを知りません。そしてリゾートでの恋もそうなのです。

 

「ソニヤ」

婚約者がいるのに謎めいた若い女性とつきあってしまったべルリンの画家は、もちろん二兎を追うことはできません。しかし彼はどちらの女性を望んでいたのでしょう。

 

「何かの終わり」

偏屈者の祖母の最期は、彼女らしく鮮やかなものでした。その物語を語る孫娘の口調からは、祖母への愛情が感じられます。

 

「バリの女」

有名映画監督の妻は、バリ島出身の小柄な女性でした。既婚の映画監督に群がる女性たちは、結局のところ奥さんをライバルとみなしていないのかもしれません。あからさまに人種問題に触れることなどできないのですが。

 

「ハンター・ジョンソンの音楽」

ニューヨークの老朽ホテルで暮らしている老作家の向かいの部屋に、若い女性が入ってきます。彼女からの夕食の誘いに、彼の心はときめくのですが・・。老作家の矜持が伝わってきます。

 

「夏の家、その後」

べルリン北方の農村にある老朽化した豪邸を買った若い男は、何を望んでいたのでしょう。ドラッグやパーティが日常化している女性たちは、農村での同居生活など望んでいないことは明らかなのですが。この物語の背景には、ドイツ統一によって戦前の所有者に権利が戻された問題があるようです。

 

カメラ・オブスキュラ

女性は結局のところ、不細工で背が低いアーティストに惹かれたのでしょうか。それとも彼が造ったエロティックな映像作品に惹かれたのでしょうか。

 

「オーダー川のこちら側」

ドイツとポーランドの国境を流れるオーダー川(オーデル川)のほとりに住む男は、かつての親友の娘の来訪にとまどいます。彼を困惑させたのは世代の違いなのでしょうか。それとも過去の思い出なのでしょうか。

 

2022/5

スモモの木の啓示(ショクーフェ・アーザル)

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「イラン・イスラーム革命に翻弄される一家の姿を魔術的リアリズムの手法で印象的に描く傑作」というのが、翻訳家の堤幸さんが本書の内容を簡潔に紹介した言葉です。これ以上の表現が思いつかないので、そのまま引用させていただきました。

 

語り手は一家の末娘である13歳の少女バハール。兄ソフラーブが革命防衛隊に連れ去られて刑死した瞬間に、母のロザーは丘の上のスモモの木の上で、人生が無価値であるという啓示を得ます。父フーシャングは残された一家を連れて、ゾロアスター教徒が隠れ住む北方の僻地の村ラザーンに移り住みますが、やがてそこにも革命勢力の手が迫ってきます。

 

空を飛べるようになった母ロザーは村を出ていってしまいます。幽鬼(ジン)の呪いを受けた村長の息子との恋愛に敗れた姉のビーターは、人魚になってカスピ海のほとりでの暮らすようになってしまいます。そしてバハールもまた、過酷な運命に翻弄されていたのです。最後にひとり残された父親のフーシャングは、度重なる試練を乗り越えることができるのでしょうか。そして全ては、墓地の壁に刻まれた「神は見ている、時は逃げる、死は追う、永遠は待つ」との言葉に打ち勝てるものではないのでしょうか。

 

イランからオーストラリアに移住した著者がペルシア語で綴った本書は、匿名の翻訳家によって英訳され、それをもとにして日本語やほかの言語に翻訳されました。英訳者が匿名であるのは「安全上の理由」によるとのことですが、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』が引き起こした悲劇を思うと決して大げさな措置ではありません。本書にはイスラーム革命指導者に対する鋭い批判が含まれているのです。ついでながら「魔術的リアリズム」との相性が良いのは南米だけではありませんね。イランが『千一夜物語』の舞台であったことを思い出しました。

 

2022/5

田舎のポルシェ(篠田節子)

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ロードノヴェルというと、広大な北アメリカや、国境が入り乱れる欧州の旅を思い起こしますが、日本だって捨てたものではありません。登場人物の思いを乗せて車は走るのです。ただし実際に走ったことがある道が大半なので、旅のスリルが半減してしまう感じが漂うのは仕方ありません。

 

「田舎のポルシェ」

東京といっても八王子の奥地は旧弊が染み付いた農村地帯。とっくに捨て去ったはずの実家では両親も兄も亡くなり、相続してしまった水田を耕作してくれた隣人のもとに、収穫米を引き取りに行く女性の話。大型台風が迫る中、友人が紹介してくれた強面ヤンキーの運転する軽トラで岐阜から八王子を目指す旅は波乱万丈なものになりました。長時間の旅の間には、互いが抱えた事情もつい話してしまいそうです。

 

ボルボ

不本意な形で大企業勤務の肩書を失った二人の男性が意気投合して、廃車寸前のボルボで北海道に旅行。しかし片方の男性には思惑があったのです。それは北海道出張中の若い妻の動向を探ることだったのですが・・。事情はどうあれ悋気はいけませんね。思いがけない事件でボルボが天寿を全うできたのは良かったのかどうか。

 

「ロケバスアリア」

「憧れの歌手が歌った会場で歌いたい」という老女の願いを叶えるため、コロナで一変した日本をロケバスが走ります。孫息子に運転させて東京から浜松を往復する日帰り旅のはずでしたが、アクシデントで宿泊することになってしまいました。これが最後の仕事というDVD制作会社の老社員の情熱と、事情を抱えた老女の思いが交差します。

 

2022/5

2022/4 Best 3

1. 眠りの航路(呉明益)ウー・ミンイー

不思議な睡眠障害の治療のために日本を訪れる主人公は、著者の分身です。彼は生涯寡黙だった父親が語ることのなかった過去を追体験していくことになります。それは太平洋戦争末期に少年工として日本に渡った父親の体験は、戦後の台湾では長らく語られることなく歴史の裏側に隠されていた「失われた世代」の物語でした。「祖国喪失」は普遍的なテーマですが、旧植民地の人々への責任という視点から本書を読むことができるのは日本人だけなのです。

 

2.ウォーターダンサー(タナハシ・コーツ)

19世紀アメリカにおいて奴隷制が認められていた南部諸州から北部自由州へ黒人奴隷たちが脱出することを支援した組織が「地下鉄道」です。ファンタジー的な要素を多分に込めて黒人奴隷の少年の脱出物語を描いた本書には、「奴隷制から逃れるための最大の武器は記憶である」との著者の主張が込められています。日系人のような名前に聞こえますが、著者は「Ta-Nehisi」というアフリカ系アメリカ人です。

 

3.冬(アリ・スミス)

英国のEU離脱投票を受けて開始された「四季4部作」の『秋』に続く第2作ですが、各作品はそれぞれ独立しているので、この1冊だけでも十分に楽しめます。ブリグジット投票の余韻も残る2016年のクリスマスに、息子が実家に連れて来た偽の恋人が、長年仲違いしていた老姉妹の再会を促したことで、埋もれていた家族の歴史が呼び覚まされていく物語。「分断と排斥」に穴を穿つ若い女性が、イギリスから追放されそうな東欧移民であることには、もちろん大きな意味があるのです。

 

【次点】

・ビンティ(ンネディ・オコラフォー)

・結 妹背山婦女庭訓波模様(大島真寿美

 

【その他今月読んだ本】

・紅霞後宮物語 第0幕5(雪村花菜)

エチュード春一番 第3曲 幻想組曲「狼」(荻原規子

・幻想商店街(堀川アサコ

・極北へ(石川直樹

・小鳥はいつ歌をうたう(ドミニク・メナール)

・虹をつかむ男(ジェイムズ・サーバー

・恋愛未満(篠田節子

・熱源(川越宗一)

・北海道浪漫鉄道(田村喜子)

・ウエスト・サイド・ストーリー(アーヴィング・シュルマン)

・チンギス紀 11(北方謙三

・詐欺師の楽園(ヴォルフガング・ヒルデスハイマー)

・家族じまい(桜木紫乃

・あきない世傳 金と銀10 合流篇(高田郁)

小樽運河ものがたり(田村喜子)

時計じかけのオレンジアントニイ・バージェス

・鯖猫長屋ふしぎ草紙 5(田牧大和)

・鯖猫長屋ふしぎ草紙 6(田牧大和)

 

2022/4/30

鯖猫長屋ふしぎ草紙 6(田牧大和)

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かつての義賊「黒ひょっとこ」で今は画描きの青井亭拾楽が、鯖縞模様が美しいオス三毛猫サバと長屋で暮らす、ちょっと不思議なお江戸ミステリの第6弾。次々と秀逸なアイデアで新しい物語を紡ぎ出している著者にとって、シリーズ最長記録になります。ちなみに今までの記録は5作まで続いた『濱次お役者双六シリーズ』です。

 

不思議な能力を持っているサバが住み着いてから収まっていた、長屋の家鳴りが再び始まってしまいました。弟分だった以吉の死に責任を感じている拾楽の心が、大きく揺れているせいなのでしょうか。前巻のラストで女盗賊あざみが、拾楽に思いを寄せている娘おはまに告げた余計なひとことが原因のようです。もちろん過去を悔いている拾楽は、彼女の気持ちに応えることなどできません。本巻の事件を通じて、2人の心は近づくのですが・・。

 

辻斬りを捕縛した同心の掛井が、寺社奉行の横槍によって、かえって窮地に追い込まれてしまいます。サバの子分第1号が拾楽なら、掛井は子分第2号のようなもの。はたしてこの事件には醜い真相が隠されていたのですが、その背景には禍々しいものが潜んでいたようです。一緒に同じ事件を追いながら、拾楽が見ていたものとサバが追っていたものは違っていたのですね。

 

捨て子や攫われ子の物語が中心になっていた前巻に続いて、本巻では、火事で両親を亡くした後に不思議な力を有する白犬に育てられていた娘が登場します。さまざまな事情で親から隔てられた子供の物語が、このシリーズのサブテーマなのかもしれません。知らないうちにこのシリーズは第9巻まで出版されていました。この予想が当たっているかどうかは、すぐに判明しそうです。

 

2022/4

鯖猫長屋ふしぎ草紙 5(田牧大和)

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かつての義賊「黒ひょっとこ」で今は画描きの青井亭拾楽が、鯖縞模様が美しいオス三毛猫サバと長屋で暮らす、ちょっと不思議なお江戸ミステリの第5弾。この長屋で暮らしていた弟分を亡くしている拾楽は、ここで「誰か」を待っているようなのですが、その謎はまだ明かされていません。

 

本巻で拾楽を訪ねてきたのは、昔馴染みの女盗賊あざみ。男どもを手玉に取って周到な計画を立てる冷静沈着な女盗賊は、かつて捨てた自分の息子が隠居同心の菊池に育てられていることを知り、拾楽に協力を依頼してきたのです。はたしてその動機は息子への愛情なのでしょうか、それとも・・。その一方で「ニキのご隠居」として未だに隠然たる力を有している菊池もまた、あざみと決着をつけるために拾楽を味方につけようとしています。その少年・太一にとっては、何が望ましい決着なのでしょう。

 

江戸時代には、捨て子、迷い子、攫われ子が多かったようです。4年前に攫われた植木職人の息子の消息が判明するエピソードも描かれますが、実はこれもあざみの仕業だったのですね。不思議な力を持っているらしいサバにはあざみの魂胆が透けて見えているようですが、人情というものは簡単に割り切れるものではないようです。拾楽と長屋の娘おはまとの関係も難しそうですね。あざみが彼女に余計なことを吹き込んだことが新たな火種になるのですが、それは次巻の物語になります。

 

2022/4

時計じかけのオレンジ(アントニイ・バージェス)

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スタンリー・キューブリック監督による映画化作品を見たことがありますが、あまりの暴力描写の激しさにうんざりした覚えがあります。本書はその原作ですが、エンディングが違っていますね。

 

近未来(といっても本書が書かれた1962年からみての近未来なので、あまり未来感はないのですが)の英国の物語。高度に管理された社会に倦んでいるアレックスの気晴らしは超暴力。ワル仲間と徒党を組んで、暴行、強盗、強姦、破壊行為などを、けたたましく笑いながら繰り返す毎日。しかし老婆を殺害したことで、ついに逮捕されて長い刑期を宣告されます。この時アレックスは15歳。映画では当時20代後半だったマルコム・マクダウェルが演じていたので気づきませんでしたが、主人公の幼さに唖然とさせられます。

 

そして刑務所内でも行動が改まらなかったアレックスに対して、暴力を否定する「条件付け」が行われるというのが、本書が斬新だった個所ですね。そして彼は釈放されるのですが、暴力に対して無防備となった者が生存しえるのか・・ということが問題提起なのです。タイトルの「時計じかけのオレンジ」とは、中身が機械でできている生命という意味ですね。

 

ところで映画は、アレックスが「条件付け」から解放される第3部第6章の場面で終わっていますが、原作には第7章があるのです。18歳となったアレックスが大人として成熟することを示唆しているのですが、映画のみならずアメリカの出版社もカットを望んだとのことです。あくまでもセンセーショナルな作品として売り出したかったのでしょう。

 

2022/4