りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

あかね紫(篠綾子)

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中宮彰子のサロンの最盛期を支えた紫式部和泉式部、藤原基子の娘たちが、賢子、小式部、中将君。そんな3人娘が母たちの後を継いで中宮彰子に仕え始めたのが14歳の時。その頃の活躍を描いたのが『紫式部の娘。賢子がまいる!』と『紫式部の娘。賢子はとまらない!』ですが、本書はそれから5年後の物語。19歳になって御所でも中堅となっている3人娘のもとに、藤原道長の次男で今光君と呼ばれる藤原頼宗から妙な依頼が舞い込んできます。

 

それは男女入れ替わってしまったかのような妹と弟を元に戻して欲しいというものであり、しかも藤原道長からの至上命令だというのです。3人はさっそく少年のように振舞う六の君と、少女のように恥じらう小若君のもとへと向かうのですが、2人は説得になど応じようとしません。それどころか六の君からは、政略結婚の道具として扱われる、当時の女性としての生き方を批判されてしまう始末。このあたりは、ほぼ同時代の奇書である「とりかへばや物語」をモチーフにした物語ですね。

 

その一方で、絶対的な権力者となった藤原道長の専横はとどまるところを知りません。長女彰子に続いて、次女妍子、三女威子を次々に入内させてキングメーカーの座を不動のものにしています。道長を諫めるのはもはや、亡夫の一条天皇の遺志を叶えようとしている彰子ただひとりという状態であり、道長の駒にすぎない皇族たちの不平不満や、権力争いに敗れた貴族たちの恨みも発火点に達しようとしていました。

 

全ての登場人物やエピソードを史実とぴったり合わせてくる著者の力量は、相変わらず素晴らしい。そしてミステリ仕立てのラブコメであった前2作が内包していた母と娘の関係というシリアスなテーマは、本書にも引き継がれているのです。男女逆転を望む若い2人の率直な思いは、夫を得ても出仕を続けたい賢子の悩みを刺激します。そして「若紫のモデルは賢子だった」という母の紫式部に、「今の私を例えると誰になるのか」と訪ねます。母の答えは物語を締めくくるのにふさわしい言葉でした。楽しいシリーズでしたが、ここまで書ききってしまったら、もう続編はありませんね。

 

2021/10

カッシアの物語 3(アリー・コンディ)

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反乱軍ライジングの攻勢によって、安全の代償に自由を制限するソサエティの統治が崩れようとしています。自由な選択を求めて辺境の外縁州を彷徨ったカッシアとカイも、ライジングの一員として反乱に身を投じていました。カッシアはソサエティの首都に潜入して情報収集に、カイは飛行機の操縦士として輸送の役割を担っているのです。そしてカッシアに恋しているザンダーも、医療管理士としてライジングのために働いていたのです。

 

ライジングの反乱が燎原を走る野火のように広まった背景には、疫病の流行がありました。ソサエティがコントロールしきれなくなった疫病の治療薬をライジングが提供できるというのですが、それは事実なのでしょうか。そもそもライジングとはソサエティが生き延びるために、名札を付け替えただけの存在かもしれないのです。そして両者を嘲笑うかのように、突然変異ウィルスが発生して猛威を振るい始めます。そしてカイも感染し・・。

 

長い旅路の果てに、3人の少年少女は何を得ることになったのでしょう。カッシアやカイと行動を共にしてきた魅力的な少女インディや、秘密を抱えるザンダーの同僚のレイたちにも、平穏な日々は訪れるのでしょうか。反乱軍のリーダーのパイロットや、農民たちを率いて大峡谷を脱出したアンナや、老医師のオカーらには、どのような運命が待ち受けているのでしょう。

 

巻を進めるたびに語り手が増えていくのは著者の工夫ですね。第1巻はカッシアの独白で、第2巻はカッシアとカイが交互に語り、第3巻ではそこにザンダーも加わります。異なる視点や異なる場所の物語が加わることで、小説世界が広がっていくわけです。とはいえ本書は、出来の悪いラブロマンスとしか思えませんでした。ディストピアSF的な世界を描いたり、ディラン・トーマスらの格調高い詩文に重要なヒントを込めたり、ウィルスを登場させるという予言的な要素まで含んでいるのですが、全体的に底の浅さを感じてしまったのです。

2021/10

カッシアの物語 2(アリー・コンディ)

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温暖化によって多くの人類が滅亡した後に、数々の教訓をもとに再建された社会の枠組みである「ソサエティ」は、安全な生活と引き換えに人々の自由を大きく制限していました。そんなコントロール社会の象徴ともいうべきものが、結婚相手を決められるマッチング。17歳の少女カッシアの相手に選ばれたのは、誰もがうらやむような幼馴染のザンダーだったのですが、彼女はあるアクシデントから近所に住む少年カイに惹かれていってしまいます。

 

しかしソサエティから差別を受ける逸脱者であったが故に、カイは兵士として外縁州の戦地に送られてしまいます。カッシアはカイの後を追うために、自ら志願して外縁州に近い労働キャンプへ向かうというのが、衝撃的な前巻のエンディング。カッシアの静謐なモノローグによる第1巻とは対照的に、第2巻ではカッシアとカイの冒険活劇が交互に綴られていきます。

 

ユタ州生まれの著者が描く外縁州の大自然は、イエローストーンやグランドキャニオンを想像すれば良いのでしょう。戦場から逃亡したカイと、労働キャンプを抜け出したカッシアは、それぞれ知り合いとなった者たちと共に、大峡谷地帯を横断していきます。そしてついに2人は出会い、ソサエティに抵抗する反乱軍「ライジング」に身を投じるのですが・・。

 

自由な選択の制限への疑問から始まった物語は、ついに反乱へと行き着いてしまいました。『ギヴァー4部作』に触発されて書かれたディストピア小説とのことですが、『ハンガー・ゲーム』に近づいてきたようです。とはいえ、それらは全てラブロマンスの背景にすぎないようにも思われます。雰囲気が一番近いのは、ヴァンパイアと狼男に愛された少女の物語である『トワイライト』のようです。

 

2021/10

カッシアの物語 1(アリー・コンディ)

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ロイス・ローリーの『ギヴァー4部作』に触発されて書かれた作品ということですが、本書においてはディストピア小説の雰囲気はあまり感じられません。温暖化によって人類の多くが死に絶えた後に再建された「ソサエティ」は、確かに高度な管理社会です。平和で秩序ある生活と引き換えとはいうものの、情報や芸術を制限し、結婚も職業も死ぬ年齢さえもがコントロールされている社会は、確かに忌むべきものかもしれません。しかし本書は、ラブロマンスの色彩が強すぎるのです。

 

本書の主人公はカッシアという17歳の少女。彼女の結婚相手がソサエティから示される「マッチ・バンケット」の場面から物語が始まります。選ばれたのは、ハンサムで快活で頭脳明晰で、常にリーダー的な存在である幼馴染のザンダーでした。彼もカッシアのことを愛しているようで、彼女も不満などありません。しかしひとつの手順の狂いが、彼女の心を揺るがしていくのです。

 

それは彼女に渡されたマイクロカードが示した男性がザンダーではなく、カイという別の少年であったこと。役人からは手違いだから忘れるようにと告げられたものの、カッシアは彼を意識し始めてしまいます。外縁州からやってきたカイが「逸脱者」と呼ばれる下層階級に属しており、禁断の詩編や文字を知る優秀な少年であるのに、辛い肉体労働を強いられていることを知ったカッシアは、次第に彼に惹かれるようになっていきます。そしてカイが外縁州の戦地に送られると聞いて、彼女は重要な決断をするのでした。

 

繊細で内向的なカッシアの独白で綴られる本書は、ディラン・トーマスやテニスンの詩が重要な役割を果たすこともあり、静謐な雰囲気に満ちています。カッシアが最後に見せる大胆な行動を強く印象付けるための仕掛けなのかもしれません。あまり好きなタイプの作品ではないのですが、冒険活劇の度合いが増していく第2巻以降で微妙な三角関係がどう動いていくのか、とりあえず読みきってしまいましょう。

 

2021/10

断絶(リン・マー)

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中国発の未知の病「シェン熱」に襲われた世界・・というと現実とリンクしたパンデミック小説のようですが、本書は感染症の蔓延と戦う物語ではありません。この病は克服できるものではなく、世界はひたすら滅亡へと向かっていくのです。

 

語り手の中国系移民キャンディスは、ニューヨークの出版会社に勤務していた女性。オフィスや街から人々が消え去ってもそこに残って「NYゴースト」という写真ブログを発信していたもののついに断念。シカゴの「施設」に向かうという生存者グループに入れてもらってニューヨークを脱出するのですが、そこまでの道のりは苦難の連続。そいて「施設」とやらも安全を保障できるものではありませんでした。しかも彼女は妊娠していたのです。

 

現在の物語の合間にキャンディスの過去が挿入されていきます。6歳の時に中国の福建省からユタに移民した両親に呼び寄せられた彼女は、中国とアメリカのどちらにも馴染めない青春時代をおくりました。小説家を目指した恋人と別れ、写真家の夢を捨てて就職したという彼女の過去は、いくつもの「断絶」の繰り返しだったのです。そんなキャンディスの日常は、習慣としていた所作を死ぬまで繰り返すゾンビとなる熱病の感染者とどれほど違うというのでしょう。

 

生まれてくる子供のために、牢獄と化した「施設」を脱出する決意をした彼女の未来は、決して明るいものとは思えません。しかし生まれて初めて自分の意志で「断絶」を成し遂げたキャンディスが母となり、映画「アイ・アム・レジェンド」のウィル・スミスのように大都会で生き延びて、やがてはどこかにあるかもしれない楽園にたどり着く未来を想像してしまうのです。

 

2021/10



 

やがて満ちてくる光の(梨木香歩)

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著者はエッセイの名手でもあり、2002年の『春になったら苺を摘みに』から2020年の『風と双眼鏡、膝掛け毛布』に至るまで、その時々の心象風景や自然観察を綴った作品はどれも素晴らしい作品として成立しています。しかし2019年7月に出版された本書は、著者のデビュー時から25年に渡って綴られた端切れのような文章を纏めた1冊です。著者自身、このような文集が「一冊の本として成り立つ求心力があるだろうか」と懸念したとのこと。

 

確かにテーマに統一性はなく、本書の内容をひとことで表すことは難しいのです。しかし本書からはひとりの人間が生きてきた歴史を感じることができるのでしょう。スウェーデンのなんにもない所にあるリンネ研究所や、結局買えなかった素晴らしい庭を持つ大邸宅への思い、淡路島・伊勢神宮・琵琶湖・アイスランド・英国各地などの旅先で感じたこと、河合隼雄氏、河田桟氏、佐藤さとる氏らとの対談や会話、そして3.11へに感じたこと・・。

 

著者の作品の愛読者としては、『沼地のある森を抜けて』についての自書解説が興味深いものでした。この作品は、「光と闇」というような秩序を前提としての二項対立ではなく、秩序が生まれる前の混沌であり、光が現れるその一瞬までの話だそうです。ぬか床から人が生まれてくるという「梨木進化論」には当時あっけにとられたものですが、ようやく理解できた気がします。

 

2021/10

異邦人(原田マハ)

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「異邦人」とは、京都以外の土地で生まれて京都にやってきた人を指す「入り人」であり、「いりびと」と読ませています。「葵、屏風祭、宵山、巡行、川床、送り火、紅葉・・」と連なるタイトルからも歴然のように、本書は京都の魅力に取りつかれた女性を巡る物語。

 

主人公の菜穂は、一代で財をなして美術品を蒐集した祖父が設立した個人美術館の副館長で、美術に関しては父母をしのぐ鑑識眼を有しています。つきあいの長いたかむら画廊の青年専務・一樹と結婚して出産を控えてている菜穂が京都に長逗留することになったのは、震災後の東京を逃れたため。そんな菜穂に対して普通なら「入り人」に閉ざされている京都の扉が開いたのは、祖父も指示したという老書道家の屋敷に間借りしたからなのでしょう。彼女は京都の名だたる画家や文化人に近づけるようになっていきます。

 

しかし彼女に「刺さった」のは、無名の若い女性画家・白根樹が描いた一枚の小品だったのです。京都日本画壇の巨匠の弟子ながらなぜか冷遇されている樹と、菜穂は急速に接近していきます。そして菜穂が知った、樹の出生の秘密とは、驚くべきものでした。京都の四季の移ろいを背景として展開される物語は、画廊の経営危機、菜穂と一樹の夫婦関係、菜穂と母親・克子の母娘関係などを巻き込んで、どのように着地していくのでしょうか。

 

著者は本書で「美のためなら夫をも蹴散らしていく芸術至上主義の圧倒的に強い女性を描きたかった」そうです。あえて主人公を妊婦にしたのは、彼女の美に対する執着を、おなかのなかの子どもの成長とリンクさせたかったからなのでしょう。今年の冬にら高畑充希さんの主演でTVドラマ化されるとのことです。

 

2021/10