りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

2021/9 Best 3

1.ブルシット・ジョブ(デヴィッド・グレーバー)

「ブルシット・ジョブ」とは著者の造語のようで、役立たないにもかかわらずそれを自覚して従事する仕事について名付けたもの。広報、ロビイスト、顧問弁護士、コンプライアンス担当者、中間管理職などの、なくなっても差し支えない仕事がなぜ際限なく増殖し続けているのでしょう。そして社会に不可欠なエッセンシャルワーカーの仕事はなぜ低賃金なのでしょう。著者が「ベーシック・インカム」という驚くべき政策提言に至るまでの考察過程も丁寧に解説されています。

 

2. 宇宙(そら)へ(メアリ・ロビネット・コワル)

1952年に落下した巨大隕石が加速度的な温暖化をもたらし、ついには地球が人生存に適さなくなると予言された世界線。人類の生存を賭けた宇宙開発計画が始まりますが、いきなり超工学が誕生することなどありえません。女性差別が当然であった時代に星々を目指した女性パイロットたちの戦いを描いた本書は、映画「ドリーム」や『ロケットガールの誕生』と共通するリアリスティックな物語です。

 

3. ラグタイム(E・L・ドクトロウ)

アメリカにおける20世紀初めから第1次世界大戦までの20年ほどの期間を、著者は「ラグタイム」と名付けました。おびただしい数の実在人物が浮かんでは消えていく中で、著者の創作による3つの家族の姿を描いた本書は、ラグタイムのリズムに乗せてひとつの時代を描き切っています。

 

【その他今月読んだ本】

・彼女たちが眠る家(原田ひ香)

・鬼神の如く(葉室麟

・じい散歩(藤野千夜

・スキマワラシ(恩田陸

・名残の花(澤田瞳子

・チンギス紀 9(北方謙三

・宇宙の春(ケン・リュウ

・春燈(宮尾登美子

・わが殿(畠中恵

・最終飛行(佐藤賢一

・涼子点景1964(森谷明子

・犬と負け犬(ジョン・ファンテ)

・すべての小さきもののために(ウォーカー・ハミルトン)

・あきない世傳 金と銀9 淵泉篇(高田郁)

・ローンガール・ハードボイルド(コートニー・サマーズ)

・ベイカー街の女たち(ミシェル・バークビイ)

・ベイカー街の女たちと幽霊少年団(ミシェル・バークビイ)

・菊亭八百善の人びと(宮尾登美子

・STORY OF UJI(林真理子

ヒトリシズカ誉田哲也

 

2021/9/30

ヒトリシズカ(誉田哲也)

f:id:wakiabc:20210830132926j:plain

母親に暴力を振るう男を排除した8歳の少女。妹を弄んで自殺に追い込んだ男に対する兄の復讐劇を手助けした13歳の少女。恋人をストーカーから守れなかった男に殺人を教唆した15歳の少女。自分の死を偽装して暴力団幹部の愛人となった15歳の少女。そして暴力団幹部の家で銃撃戦が起こった夜、その少女・伊藤静加は腹違いの妹とともに姿を消してしまいます。

 

唯一彼女に救いの手を差し伸べた警官の義父に対して、「あたしは暴力を否定も肯定もしない。ただ利用はする」と言い放って家を出た静加。彼女が関わったとされる5件の事件から見えてくるものは、ある意味痛快ではあるものの、深い闇でしかありません。しかし17年後の最終章では、さらなる驚きが待っていました。身分を偽って生きてきた女性の正体が明らかになった時、本書のテーマは単なるハードボイルドではなかったことを思い知らされるのです。

 

著者の作品をはじめて読みましたが、タフな女性を描いた作品が多いようです。ただし本書の読後感は悪かった。陰湿な日本社会においては、復讐劇も再生のドラマも陰湿なものとならざるを得ないのでしょうか。

 

2021/9

STORY OF UJI(林真理子)

f:id:wakiabc:20210830132628j:plain

林真理子版『源氏物語』は、千年も前に書かれた古典が既に現代小説と同様の骨格を有していたことを、徹底的にあぶりだしてくれています。本書に先立つ『六条御息所源氏がたり』で描かれた光源氏の姿は、中年以降に急速にオヤジ化する親の七光りを振りかざした無反省絶倫青年にすぎませんが、女性たちの描き方が秀逸でした。語り手の六条御息所は嫉妬に狂ったタカビーなジコチュー女ですし、夕顔はヤンママぶりっ子で朧月夜はイケイケセレブ、葵上は男嫌いに育った箱入り娘で女三宮は単なる幼稚で愚かな女。おそらく著者自身と重ね合わせたであろう聡明な紫上や明石は、女性としての幸福を掴み切れません。

 

そんな著者が描いた「宇治十帖」にも、もちろん辛辣な解釈が施されています。今上帝と明石中宮の三男で光源氏の孫にあたる匂宮は、若い頃の光源氏のようなわかりやすい青年ですが、出生の秘密に悩む薫君はややこしいこじらせ男子。どちらも女を不幸にするタイプです。そんな男たちの恋愛ゲームに翻弄されたのは、宇治に隠棲した皇族・八の宮の忘れ形見の3人の女性たち。

 

物語の前半は大君と中の君を交えた「男女4人宇治物語」。互いに惹かれ合う薫君と大君が結ばれれば簡単なのですが、大君も相当のこじらせ女子なのです。妹を薫君と契らせようとして、匂宮と関係させてしまうドタバタ劇は滑稽ですが、もちろん本人たちには大悲劇。この手法はシェイクスピアも用いたし、現代ドラマでもよく使われていますね。

 

そして長い物語のラストを飾るヒロイン・浮舟が登場するのです。2人の男性に恋されたあげく、理性と感情の矛盾に耐えかねて宇治川に身を投げる女性。「理性と感情の矛盾」こそが近代文学の一大テーマであることは、ポヴァリー夫人やアンナ・カレーニナを例に出すまでもありませんね。新訳を著した角田光代さんは「なぜ最後がこの人なの?」と自問したそうですが、全ての男を否定して出家の道を選ぶ浮舟の再生は、当時の女性の生き方として極北に位置するものだったのかもしれません。

 

2021/9

菊亭八百善の人びと(宮尾登美子)

f:id:wakiabc:20210830132424j:plain

江戸時代の初期に創業し、江戸の風流を極めて随一と言われながら戦争によって店を閉めていた料理屋・八百善が、店の再興を決めたのは昭和26年のことでした。9代目夫人だった栗山恵津子が八百善の味と歴史を綴った『食前方丈』は、先代から店の再興を告げられる場面で終わっていますが、実際の彼女の苦労はそこから始まったわけです。まさにその場面から始まり、再興なった永田町店が閉店に至るまでの8年間を描いた本書は、著者が親交を結んでいた9代目夫人に捧げられた作品なのでしょう。

 

主人公の汀子のモデルはもちろん恵津子です。深川木場の材木商の家に生まれた汀子は、兄の友人であった八百善8代目の次男・福次郎と結婚。下町育ちの汀子は、山の手の上流階級の大家族である八百善一族との同居に苦労する一方で、誰もが浮世離れした狭い世界で生きているように思えて仕方ありません。はたして生活感のないまま9代目を継ぎ、永田町店を任された福次郎は、脆さを見せてしまいます。一族が貯えた膨大な書画骨董を売り払いながら放漫経営を続ける一方で、浮気や隠し子などの問題を起こして、従業員からも見放されてしまいます。

 

そんな永田町店を8年間も支え続けたのは、もちろん汀子です。右も左もわからない世界で、女将ではなく女中としての扱いで店に入り、自分勝手な先代や夫の不貞や古参従業員の確執にも悩まされ、最後には嫁の身で店を閉めることを決断するに至るという半生は、その表面だけ見れば辛くて厳しいもの。しかし後に10代目を継いで新店舗や新事業を起こす息子を育てあげた女性は、最後まで明るいのです。ともに店を支え続けた板前の小鈴への淡い想いは、物語に色を添えるためのフィクションでしょうが、最終章のタイトルが「夢ある閉店」となっているのは決して強がりだけではありません。「土佐の強い女」を描いてきた著者が描いた、「明るく軽い江戸っ子」の物語です。

 

2021/9

ベイカー街の女たちと幽霊少年団(ミシェル・バークビイ)

f:id:wakiabc:20210830132035j:plain

シャーロック・ホームズを下宿させていたハドスン夫人とワトスンの妻であるメアリーがタッグを組んで、19世紀ロンドンの女性たちを苦しめる闇に立ち向かう本格ミステリシリーズの第2作です。前作の『ベイカー街の女たち』と同様に、コナン・ドイル財団によって「ホームズ・シリーズ」へのパスティーシュとして公式に認定されています。

 

ホームズが『バスカヴィル家の犬』の事件を解決してベイカー街に戻ってきたころ、ハドスン夫人は腹部の閉塞症を患って、医師のワトソンの手配で病院に入院していました。彼女はそこで不思議な事件に遭遇します。深夜に死神のような黒い影に覆い被せられた患者が、翌朝に死亡していたのです。これは意識朦朧としていたワトスン夫人が見た幻影にすぎないのでしょうか。その一方で、ワトスン夫人に協力している少年探偵団ことイレギュラーズは、数年前から少年たちが姿を消しているという事実を掴んでいました。そして亡霊のような少年グループがロンドンに出没しているという噂話も。これらの事件は互いに関係しあっているのでしょうか。

 

前作において19世紀イギリスで社会的に低い立場に置かれていた女性たちの敵を登場させた著者は、本書では児童労働の問題を取り上げています。突然いなくなっても誰も悲しまない境遇の孤児たちや、ネグレクトされた子供たちの敵とは、おのような人物なのでしょう。しかも前作と同様に、本書の犯人の背後には「例のあの人」もいるようなのです。

 

女性同士の対決や、少年団同士の闘争など、華々しい見どころも多い作品です。本筋とは直接関係しませんが、ホームズが切り裂きジャックと対決して決着をつけたようなことも仄めかされています。そのうち映画化もされるのではないかと期待しているのですが、いかがでしょう。

 

2021/9

ベイカー街の女たち(ミシェル・バークビイ)

f:id:wakiabc:20210830131918j:plain

「ベイカー街221B」といえば誰もが知っているホームズの住所であり、一時はワトソンも同居していました。しかしそこにもうひとり住んでいたことは忘れられがちです。それはもちろんハドソン夫人。風変わりな下宿人を献身的に世話し、依頼人や来客を2階まで案内し続けた女性です。しかし彼女が得意なのは料理だけではありませんでした。長年ホームズと接し続けたことで、推理能力も身に着けていたのです。

 

本書は、ホームズに依頼を断わられた女性の窮状を救ってあげたいと思ったハドスン夫人が、親友になったワトソン夫人のメアリーとともに難事件を解決に導く物語。しかも彼女は単なる安楽椅子探偵ではなく、危険でいかがわしいロンドンの下町や波止場にも乗り込んでいく行動派なのです。とはいえ当時のロンドンは、切り裂きジャックも横行していた闇の世界。素人の女性2人だけでは不安ですね。日頃ハドスン夫人に世話になっているイレギュラーズこと少年探偵団が、彼女たちを手助けします。さらにはパステーシュでホームズの恋人として描かれることが多いアイリーン・アドラーも登場。

 

本書の事件の依頼人は、身に覚えのない情事を「暴露する」と脅す手紙に怯える女性。19世紀末のイギリスにおいても、女性には財産権や親権すら満足に認められておらず、離婚しようものなら路頭に迷うはめになりかねません。夫に妻の貞操を疑わせる強請屋の存在は、女性たちの悪夢なのです。しかも夫にとっても不名誉な事態であるために公言できず、まさにやりたい放題。著名な女性も罠に墜とした悪辣な犯人に、素人の2人の女性は立ち向かえるのでしょうか。

 

原典のエピソードと矛盾しない範囲で、ハドスン夫人の来歴に触れ、原典の脇役たちも生き生きと活躍させた本書は、コナン・ドイル財団によって「ホームズ・シリーズ」へのパスティーシュとして公式に認定されているとのこと。ホームズが「実はフェミニストでいい人」として描かれすぎているようにも思えますが、ホームズ・ファンもそうでない人も十分楽しめる作品に仕上がっています。

 

2021/9

ローンガール・ハードボイルド(コートニー・サマーズ)

f:id:wakiabc:20210830131741j:plain

トレーラーパークの管理人をしている年老いた女性から、NYのラジオ局にかかってきた1本の電話。その女性は言うのです。祖母代わりとして気にかけ、トレーラーハウスに住まわせてあげていた19歳のセイディが姿を消したと。そしてセイディは、13歳だった最愛の妹マティを殺害した犯人が元義父のキースであると信じ、復讐を狙っているのではないかと。ラジオ局のDJは、ドキュメンタリー番組を制作する目的でセイディの行方を追い始めます。

 

その一方で、キースの行方を捜し求めるセイディの追跡行は壮絶を極めます。裏社会に飛び込んでいく若い女性が無事で済むはずもなく、祖母代わりだった女性の心配は「もうひとりまで死なせるわけにはいかない」というものでした。しかし意志の力と飛び出しナイフしか持たないセイディは、ハイウェーのダイナー、ヤクの売人、キースと付き合っていた女性、女性の兄でキースの友人であった地元の名士、寂れたモーテルの支配人と、次々と細い線をたどり始めます。

 

「世界から押し付けられた理不尽に復讐するために武器を取る少女」というテーマの最高峰は、ボストン・テランの『音もなく少女は』だと確信していますが、二重の追跡劇というスタイルで綴られた本書もなかなかのものでした。2人の娘の育児を放棄したダメ母のクレアの存在や、それでも母親を慕っていた妹のマティにセイディが告げた哀しい嘘がもたらした悲劇など、次第に明らかになってくる裏事情も説得力を持っています。そして読者はいつしかラジオ局のDJと同じ立場になって、セイディの復讐劇がたどり着く先を知りたくなるはずです。彼女を保護してあげたくなって・・。

 

2021/9