りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

巣窟の祭典(フアン・パブロ・ビジャロボス)

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メキシコ出身の若い作家のデビュー作「巣窟の祭典」と第2作「フツーの町で暮らしていたら」が収録されています。デビュー作では子供に、第2作ではティーンエイジャーの少年に語らせていますが、著者は後書きで「次作では老人が語り手となる」と述べていました。先に読んだ『犬売ります』が第3作だったのかもしれません。

 

「巣窟の祭典」

地方の麻薬王の息子として生まれ、外の世界を知らずに育った子どもが語る日常生活は、茫洋としていて掴みどころがありません。父親と10数人の子分しか知らず、家庭教師と本とテレビとゲームによる知識しか持たない彼の世界観は、「大局をとらえ損なって」いるのです。しかしこの物語が醸し出す閉所的な圧迫感は、メキシコという国の現状を、ある意味で正しくとらえているのでしょう。子どもがトチトゥリ(うさぎ)、父親がジョルカウト(ガラガラヘビ)、家庭教師がマツァツィン(鹿)、父親の愛人がケチョーリ(インコ)など、登場人物たちが皆、メキシコ先住民の言語による動物の名前を持っていることにも、この作品の寓話性が現れているようです。

 

「フツーの町で暮らしていたら」

この作品は「どうしようもなくバカバカしいような小説を書くこと」を目的として書かれた作品だそうです。メキシコ中部の最もメキシコらしい州の田舎町に育った、7人の子どもを持つ貧しい田舎教師の次男が不思議な家出をする物語。7人の子どもたちが皆ギリシャ神話にちなんだ名前を持っていることは、運命的な悲劇を暗示しているのでしょう。「80年代の不正選挙」、「シナーキスト(陰謀信奉者)」、「牛の人工授精」、「ポーランドからの移民」、「宇宙人」、「双子の誘拐」などを全部一緒にしてミキサーにかけて生み出されたという作品は、大筋はあるものの意味不明。もっともそれが著者の目的のようです。

 

2021/7

 

御社のチャラ男(絲山秋子)

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まずタイトルに騙されました。「チャラ男」というから今どきの薄っぺらい青年かと思ったら、中年の部長なのです。地方の食品会社に社長のコネで中途採用され、いきなり営業統括部長となった三芳道造44歳。チャラ男の定義は人によって異なるのですが、総合すると「見栄っ張りで世渡り上手、話題が豊富なわりに内容は聞きかじり、常に自分中心、頭がよくて危機管理能力が高い半面、責任感はない、そしてあまり働かない」ような人物のこと。このような人物は、一定の確率で必ずどこにでもいるようです。

 

本書では、三芳部長を巡る12人の人物が彼のことを語ります。実は政治家を目指している総務の女性(24歳)。会社のブラックさに疲れている営業マン(32歳)。男社会の猿山が壊れかけていることに気付いた営業マン(24歳)。三芳部長の寂しさに気付いた不倫相手の女性(33歳)。会社のイジメ体質に嫌気がさしているIT担当(41歳)。マウント術に長けていてた社長(69歳)。三芳部長に目の敵にされた接盗癖のある男性(55歳)。うつ病で休職したのち復帰した女性(29歳)などなど。年齢を記載したのは、チャラ男との関係を通して、それぞれの世代が担っているものをイメージさせたかったからでしょう。チャラ男本人も自分の中途半端な才能に気付きながらも、何かを担っているのです。

 

本書のテーマはチャラ男の存在ではなく、会社という閉鎖社会が持つ特殊性と、それが壊れた後の生き方なのでしょう。しかも旧態依然とした会社の構造が壊れようとしていることは、誰の目にも明らかなのですから。若い女性作家による会社小説として話題になった『沖で待つ』でデビューした著者は、会社社会の崩壊過程で見えてくるものに狙いをつけているようです。

 

本論からは外れますが、著者はある登場人物に「9のつく年は中国で波乱が起きる。テロなのか、内戦なのか、天災なのか、パンデミックなのかわからないけれど」と語らせています。本書は、新型コロナ禍の発生を予言した小説でもあるようです。

 

2021/7

 

ある晴れた日に、墓じまい(堀川アサコ)

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バツイチ44歳で古書店を経営する正美は、乳がんを患ったことで実家の墓じまいを決心します。母は亡く、小児科医で頑固な父は高齢で、親の期待を裏切って家出した兄も、ダウン症で施設に入所している姉も全くあてにならないのは明白。自分に何かあったら一族は完全に無縁仏になってしまうことを危惧したのです。

 

「可愛い系の食虫植物」と言われるほどに勝気な正美でも、抗がん剤治療を受けながらの墓じまい検討には辛いものがあるようです。しかもその最中に父親が急死して、預金通帳の記録から愛人疑惑が発覚。正美に遺されたのは家の整理にかかる実費のみで、残りは全て姉が入所している施設に寄付するとの遺言はまだしも、遺産相続から外された兄夫婦が警察沙汰を起こすなどして前途多難。もちろんイケメンだけが取り柄なダメ男の元夫などは何の頼りにもなりません。

 

しかし味方は思わぬ所から現れました。元新聞社員で人格者である年上の従業員のヒロコさん。なぜか父親が古書店の力仕事担当として手配してくれていた体力だけが取り柄な引き籠りの青年・昴クン。やはり乳がんに罹ってしまったことから戦友となった、元夫の今彼女のリカさん。そして父親が内緒で書いていた遺作の小説。「私の灰かぶり娘」と題された作品で、父親は娘への愛情を率直に語っていたのです。

 

幻想小説を得意とする著者の作品ですが、最後までリアルでした。現代のお墓事情も理解できるお役立ち小説です。少子高齢化が進む中でこれから、墓じまいは間違いなく問題になってきますね私のところも何とかしないといけないのですが、年老いた母親への遠慮や、滅多に会わない親族との調整が難しいこともあって、何も進んでいないのが実情なのです。

 

2021/7

祝祭と予感(恩田陸)

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人生を賭けてピアノコンクールに挑んだ少年少女たちの姿を描いた『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ小説です。3人の主人公のその後の姿のみならず、審査員や音楽教師らの若き日のエピソードなども含まれており、本編を深く理解するのにも有益な作品でしょう。

 

「祝祭と掃苔

コンクール入賞者のコンサートツアーのはざま、パリに飛び立つ前日に、亜夜とマサルが2人共通のピアノの恩師・綿貫先生の墓参りに訪れます。なぜかついてきた塵を含めた3人は、パリツアーのついでに塵の恩師であったホフマンの墓参りに行く約束を交わすのでした。彼らの前に広がる未来を感じさせてくれます。

 

「獅子と芍薬

芳ヶ江国際ピアノコンクールの審査員であったナサニエルと三枝子が、元夫婦であったことは本編の中で明らかにされています。2人の馴れ初めは、コンクールで同時入賞を果たしたことだったのですね。しかも1位なしで2位がふたり。一位であったらホフマンへの弟子入りを約束されていた2人は、当然のようにいがみあうのですが・・。

 

「袈裟と鞦韆」

コンクールの課題曲「春と修羅」を作曲した菱沼忠明は、忘れられない教え子を失ったばかりでした。曲想と楽譜のギャップに苦しみ、岩手で農業を営む傍らで作曲を続けていた教え子の姿が、宮沢賢治のイメージと重なってきます。

 

「竪琴と葦笛」

ジュリアード音楽院時代のマサルが、ナサニエルに師事するようになったきっかけが綴られます。「才能コレクター」であった傲岸な教師にマサルが潰されることを危惧したナサニエルでしたが、マサルはしたたかな少年でした。そしてナサニエルは彼に音楽の楽しさを教えるのです。

 

「鈴蘭と階段」

亜夜の先輩の奏は、ヴィオラの選択に悩んでいました。奏者と楽器との相性が重要なのであり、高価な名器ならいいというわけではないのですね。そんな時にプラハにいた亜夜と塵から架かってきた電話が、奏の迷いを断ち切ることになるのでした。

 

「伝説と予感」

巨匠ホフマンが幼い塵と初めて出会った瞬間のエピソードは、早くも伝説となっていくのでしょう。

 

2021/7

エルサレムの秋(アブラハム・B・イェホシュア)

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ノーベル賞候補にもあげられる、イスラエルを代表する作家が若い時代に書いた作品です。本書に収められている中編2作とも著者30歳の頃に書かれているので、1960年代後半のもの。同時代の大江健三郎安部公房らと共通する雰囲気を漂わせているように思います。

 

「詩人の、絶え間なき沈黙」

韻律を失ったと感じて筆を折った老詩人は、家を売って旅立とうとしています。しかし彼の気がかりは、17歳で小学校を卒業した境界線上の息子のことでした。父親の詩が授業で読まれてから気を昂らせており、父親の断筆を納得していないのです。そして「もう書かない。君が書くといい」と突き放されたことで彼は、父親の代わりに書くために詩のまねごとを始めるのです。老詩人が見た「もがき苦しむ暗い色の鳥を胸に抱える夢」は、どのような形で現実化してしまうのでしょうか。言葉を捨てた老詩人と、言葉を持とうとする息子の双方の心情に、深い哀しみを感じます。

 

エルサレムの秋」

ガリラヤのキブツを去ってエルサレムに移り、高校教師をしながら大学卒業を目指している青年に、かつて密かに愛した女性からの手紙が届きます。夫とともにエルサレムの大学を受験する間、3歳になる子どもを預かって欲しいというのです。幼児の扱いなど何も知らない青年は、昔の恋人そっくりの幼児と心を通わせることはできません。幼児を甘やかしたり放置したりする不毛な行為は、かつての不毛な愛に対する復讐なのでしょうか。登場人物の誰もが一方通行の思いを抱えて右往左往する物語ですが、読後感は意外と爽やかです。青年が幼児に対して感じた敗北感は、彼を新しい恋愛に向き合わせることになるのでしょうから。

 

2021/7

希望(ホープ)のいる町(ジョーン・バウアー)

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翻訳者として著名な金原瑞人氏が選んだヤングアダルトのシリーズの中の一編です。違っていたらすみませんが、山本弘さんの『詩羽のいる街』のタイトルは、本書から連想されたものかもしれませんね。

 

本書のヒロインはホープという名を持つ16歳の高校生。腕の良い料理人である叔母アディの職場でウェイトレスをしながら、アメリカ各地を転々としながら転校を繰り返しています。父親は不明で、母親は優秀なウェイトレスながら母性ゼロ。娘にチューリップというふざけた名前を付けて放置し、叔母のアディに押し付けている状態。ホープという名前は、12歳になった時に彼女自身が望んで改名したもの。

 

物語は、アディとホープがブルックリンを離れて、ウィンスコンシンの小さな町へと都落ちする場面から始まります。そこの食堂の店主であるストゥープは立派な人物ですが白血病を患っており、手助けを求めていたのです。しかもストゥープがいきなり、汚職町長に対抗して町長選に出馬すると宣言したものだから、彼女の生活も物語の展開も、思ってもいない方向に動き出していきます。

 

本書は若者たちが選挙運動に関わっていく小説だったのです。立候補の届け出に必要な署名を集める段階から始まる選挙期間中、現職町長の陣営から根拠のない批判やさまざまな嫌がらせを受けながら、町の住民として声をあげることの大切さを学んだホープは、ついに故郷と呼べる場所を見つけることができたのです。もちろん選挙結果やストゥープの病状も気になりますが、それを書いてしまってはネタバレですね。優れた児童文学に贈られるニューベリー名誉賞を受賞した作品であり、明るい気分になること間違いありません。まるでアディが作った美味しい料理のように。

 

2021/7

 

日本文学全集6 源氏物語 下 各帖(池澤夏樹編/角田光代訳)

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上巻・中巻と同様に、前の記事で本書に関する概説を書いたので、ここでは各帖ごとの概要をメモしておきます。

 

42帖「匂宮」薫る中将、匂う宮

43帖「紅梅」真木柱の女君のその後

44帖「竹河」女房の漏らす、玉鬘の苦難

まずは2人の主人公が紹介されます。ひとりは女三の宮と柏木が密通して生まれた不義の子の薫君。表面的には光君の末子ですが、幼少の頃に疑問に思う出来事があったとのことで、屈折した内面を持つようになっています。彼の身体に備わってる生得の芳香は、選ばれた人物であることの証でもあるようですが、移り香で存在を知らせてしまうやっかいな出来事も引き起こします。もうひとりは明石中宮と今上帝の第3皇子で光君の孫にあたる匂宮。歳の近い薫君をライバル視して、念入りに調合した香を焚きしめている人物。薫君は光君の血を引いてはいないのですが、光君の属性は色好みの匂宮と世話好きの薫君に分れて引き継がれているようです。続く2帖は髭黒中将と結婚した玉鬘と、彼女の義理の娘で蛍兵部郷と結婚した真木柱が、ともに娘たちの結婚に右往左往する物語であり、「宇治十帖」のテーマと間接的に関わってきます。

 

45帖「橋姫」宇治に暮らす八の宮と二人の姉妹

46帖「椎本」八の宮の死、薫中将の思い

「宇治十帖」の幕が上がります。桐壷帝の第8皇子で宇治に隠棲している八の宮と知り合った薫君は、月明かりの下で箏と琵琶と奏でる姫君たちを垣間見て心惹かれます。長女の大君は気高く奥ゆかしい女性であり、次女の中君は美しくて明るい女性。宇治の姫君たちの存在を匂宮に話してしまったことが、後の悲劇を生むことになります。八の宮は姫君姉妹の後見を薫君に頼んで死去。また薫君は、柏木の乳母子であったという老女房から出生の秘密を知らされるのでした。

 

47帖「総角」それぞれの思惑

48帖「早蕨」中の君、京の二条院へ

薫君は奥ゆかしい大君に心惹かれていきます。2人は心通わせたかに思えるのですが、大君は妹の中君を幸せにしてやって欲しいと願うのみ。薫は中君を匂宮と結ばせることで大君を自分に向き合わせようと企み、それはうまくいったかに思えたのですが、匂宮には叔父の夕霧の娘との縁談も進んでいたのです。妹を不幸な運命に陥らせたと思い込んだ大君は、心労のあまり儚くなってしまうのでした。大君を失った薫君は深い悲嘆に沈みます。これを聞いた明石中宮は「そこまで想われる女人の妹姫なら」と、匂宮に中君を二条院へ妻として迎え入れることを許します。

 

49帖「宿木」亡き八の宮が認めなかったひとりの娘

物語は新たな展開を迎えます。薫君は今上帝からの依頼で後見のいない女二の宮と結婚。匂宮は中君を妻に迎えたものの、夕霧の娘を正妻に迎えることも余儀なくされてしまいます。懐妊していた中君はショックを受け、後見人である薫君に相談。しかした中君への同情は、次第に恋情へと変わっていきます(オイオイ!)。ダブル不倫を恐れた中君は、薫君の気持ちをそらそうとして、亡き大君に似た異母妹の浮舟がいることを教えます。

 

50帖「東屋」漂うこと浮き舟のごとし

父親の八の宮から認知されず、母の身分は高くなく、東国の受領である継父には娘とも思われず、受領の財産目当ての婚約者からは受領の実の娘に乗り換えられたという、浮舟の悲しい過去が綴られます。これらのことが彼女を深い諦観の持ち主にさせたのでしょう。彼女と出会った薫君もはじめは、、亡き大君に似た「人形(ひとがた)」としか思わないのです。

 

51帖「浮舟」女君の苦悩と決意

「宇治十帖」の中核となる巻です。はじめは大君の身代わりとしか思っていなかった薫君でしたが、次第に浮舟を愛するようになっていきます。しかし垣間見た浮舟の美しさに惹かれた匂宮は、薫を装って寝所に忍び入り、強引に契りを結んでしまいます。浮舟は重大な過失に慄くものの、淡白な薫よりも情熱的な匂宮にに心惹かれていくのでした。まるで『愛と誠』です。純情優等生の岩清水弘よりも不良青年の太賀誠に心惹かれる早乙女愛! しかしより純情なのは浮舟でした。彼女は理性と感情の矛盾に耐えかねて、宇治川に身を投げてしまうのでした。

 

52帖「蜻蛉」悲しみは紛れず

浮舟の入水を知って、それぞれの悲しみに浸る薫君と匂宮。しかし、しかしなのです。匂宮が気晴らしに侍女たちとの新しい恋を始めたのは性格的に仕方ないとしても、薫君までもが匂宮の姉である女一の宮に憧れたりするのですから!まったく男どもがすることといったら!

 

53帖「手習」漂う浮舟の流れ着いた先

54帖「夢浮橋」二人の運命

実は浮舟は生きていました。死を決意して宇治川に入水したものの、通りかかった横川の僧都一行に発見されて救われ、比叡山の麓の村で看護されていたのです。しかし意識を回復した浮舟は過去を語らず、ひたすらに出家を望み続けます。やがてそのことを横川の僧都から聞いた明石中宮は浮舟生存を確信して、薫君に知らせます。しかし既に出家した浮舟は、「還俗して薫君のもとへ返り、彼の愛執の罪を晴らしてさしあげなさっては」との僧都の手紙にもかかわらず、薫君の手紙に文を返すことはなかったのです。しかしこの後でどのような展開となろうとも、浮舟は自分の意志ではじめて自分の人生の選択を行うことになるのでしょう。このようなオープンエンディングこそが、奇跡の物語にふさわしい幕切れではないかと思います。

 

2021/7