りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

捨ててこそ空也(梓沢要)

イメージ 1

空也上人といえば、底辺大衆の救済を説いた市井の聖。口から6体の阿弥陀仏を吐く六波羅蜜寺の肖像彫刻は有名ですが、教団も教本も残さなかったため、その生涯は明らかではありません。本書は、伝説に多くを負いながら、空也像の再構成を試みた作品です。

父・醍醐天皇からは疎まれ、母の過剰な期待を疎ましく感じた少年は、絶望のあまりに都を出奔。下層民とともに野辺の骸を荼毘に付し、庶民のために念仏を捧げ、救いを求めて諸国を遍歴。坂東では平将門と運命の出会いを果たし、朝廷や比叡山の権威にも屈しなかった空也が最後に気づいたのは、亡き母への思いでした。「悟りを求めるのも我欲」という「全てを捨ててこそ」の境地が行き着いた先は何だったのでしょうか。

どうしても五木寛之さんの親鸞と比べてしまいますね。そもそも「試練と克己に愛をまぶした」宗教者の物語は、どれも類型的に思えてしまうのですが、もっと「邪悪な存在との対決」があってもよかったのでは? 空也の生涯が、冒頭から余りにストイックなのです。

2014/5