りぼんの読書ノート

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カラマーゾフの兄弟 第4部(ドストエフスキー)

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カラマーゾフ家の再会から父親フョードルの殺害、長兄ミーチャの逮捕までの濃密な3日間を描いた前3部のあと、物語は数ヶ月先に飛びことになります。

兄ミーチャの無実を信じるアリョーシャですが、彼が兄の裁判のためにできることなど知れています。アリョーシャがこの間心を砕いていたのは、少年たちとの関係でした。病気にかかって死を目前にしているイリューシャと、少年たちのリーダー的な存在で早熟なコーリャを和解させたのです。一見すると本題と無関係に思える場面ですが、著者の中ではついに書かれることのなかった次作への大きな布石だったに違いありません。

さて読者は、イワンの無神論が行き着いた先を見ることになります。イワンとの会話から「神の不在の元では何をしても赦される」との恐るべき結論を導き出した私生児のスメルジャコフは、父フョードルの殺害に責任があるのはイワンであったと驚くべき指摘をするのです。もちろん「思想的に」ということですが・・。

そしてスメルジャコフの自殺、イワンの発狂という驚くべき展開の中で、物語は「法廷劇」の様相を深くしていきます。もちろん本書の主題はミステリではないものの、スコット・トゥローと比較しても遜色ないほどの法廷劇が展開されるのですから驚きます。ドストエフスキーはミステリ作家としても超一流であることは間違いありません。

しかし舞台は19世紀ロシアです。現代アメリカのように法廷弁論の優劣のみで論理的に決着がつくものではありません。「父殺し」の事件を裁くのは、1人の人間の弁舌でも、1つの真実でもなく、ロシアの民衆の総意とも言うべきものであり、本書のテーマはまさにそこにあるのでしょう。

ともあれこの大作を再読してあらためて感じたことは、「完成度の高さ」です。哲学的・神学的な要素を多く含みながらロシアの民衆の感情を描き出し、最終的にはロシアが向かうべき理念へと至る「思想書」ともいえる作品でありながら、小説としての完成度を併せ持っているのですから驚きます。何より、小説としての面白さがひとつも犠牲になっていないんですね。まさに超絶のテクニックであり、大作家懇親の超大作!

新訳によって再読の機会を持てたことに素直に感謝します。

2012/8再読
第4部目次
第10編 少年たち
第11編 兄イワン
第12編 誤審