りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

廻廊にて(辻邦生)

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辻邦生さんの鮮烈なデビュー作を再読しました。2つの大戦の間の時代に短くも鮮烈な「生」を生きた画家マーシャの人生を、パリで画家仲間であった日本人の「私」が再構成していくとの仕立てを用いて、著者が終生のテーマとした「人生が凝縮される特別の瞬間」を描いた小説です。

本書を最初に読んだ時には、革命によって故国ロシアを捨てて幼いマーシャを気にかけながら雪のドレスデンを彷徨する母親の姿・・という冒頭のシーンに鮮烈な印象を受けました。読者はここで、マーシャの性格の背景にあるものを漠然と理解することになります。

マーシャの「特別の瞬間」はまず、修道院で過ごした少女時代に見た壮麗な夕映えの情景の中で訪れます。しかしそれはすぐに消え去り、死を想起させる「黒々とした固い岩群のイメージ」に取って代わられてしまうものでした。彼女が再び「特別の瞬間」を経験するには、ほぼ全生涯を必要としたのです。

常に死と向かい合っていた病弱な貴族の娘アンドレと出会い、絵画を学んで感覚を燃焼させるように描き続けた熱情は、「時代に共通の苦悩」を自分自身の内面の問題と捉えてしまったが故に、アンドレの死とともに消え失せます。

一旦はロシアに近い東欧の大地で農場主の息子と結婚し「土のにおい」の中で「黒い重い現実」と和解したと感じた日々は、娘の死と夫の不義によって終わります。ドイツに移り住んだマーシャは、反ナチス運動に身を投じたローザと知り合い、「個人の死を超えて生き続ける人間の意志」を学ぶのですが、それに続いたのはローザの死と第二次世界大戦という暗い時代でした。

パリに戻ったマーシャは、強制収容所からの脱走体験を持つジャコメッティを髣髴とさせる彫刻家と同棲したものの、やがてこの彫刻家も自殺。精神的危機に陥ってしまうマーシャ。

彼女を再生させたのは、偶然入った美術館で見た「一角獣のタピスリ」でした。「滅ビノ現実ニ居ナガラ永遠ノ空間ニ生キテイル」ようなタピスリに触発されて再び「特別の瞬間」を体験したマーシャは、ようやく自分が生きてきた事実と和解しえたと感じて画業を再開するのです。彼女に残された時間は長くなかったのですが、それはもう問題ではありませんでした。

その後の作品の中でも繰り返し登場するこの主題を「芸術至上主義」と感じて反感を抱いた時期もありましたが、あらためて読むと新鮮に思います。完成度の高い、美しい小説です。

2011/12再読

P.S.パリを訪れた時に、ルーブルよりもオルセーよりも先にクリュニーを訪れて「一角獣のタピスリ」を見に行ったのは、この作品の影響です。^^