りぼんの読書ノート

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『マルティン・ベック』シリーズ(ペール・ヴァールー、マイ・シューヴァル)

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スウェーデンの元新聞記者であったペール・ヴァールーと、妻のマイ・シューヴァルが生み出した「マルティン・ベックシリーズ」は、1965年から10年間、毎年1冊ずつ執筆された警察小説です。

各巻の事件の背景には当時のスウェーデン社会が抱える問題があり、10冊連続して読み通すと「10年間の社会の変化」を俯瞰できるような、重厚な「社会派警察ミステリー」なのですが、不思議なことに数十年後の今になっても、そこに描かれている事件も人物も新鮮に思えるのです。松本清張さんのミステリーに近いかもしれません。人間性を深く掘り下げた作品は、時代が変わっても色褪せないのですね。

主役のマルティン・ベックは、妻との不和と慢性の胃痛に悩んでいて、およそ男性としての魅力に欠ける疲れた中年男ですが、彼の魅力は「抜群の推理力」と「誠実さ」です。誠実であるが故に、社会や警察組織に感じる矛盾に苦しまざるを得ません。それだけだと暗くなりそうな物語を救うのが、個性的で魅力的な脇役たち。皮肉屋で天才肌のコルベリ、御曹司なのに肉体派のラーソン、抜群の記憶力を持ったメランデルなどのレギュラーメンバーが、ベックを支えます。

ここでは、10冊まとめて紹介しちゃいます。
【1.ロゼアンナ(1965)】
運河から発見された若い女性の遺体の身元は、3ヶ月後にアメリカから届いた電報で「ロゼナンナ、アメリカ人」と判明します。被害者の奔放さと事件の猟奇性にマスコミは騒ぎ立てますが、ベックは「被害者も犯人も普通の人間」との姿勢を崩しません。犯罪の国際化という世相の反映だけでなく、シリーズを貫くヒューマニズム的視点が第一作から凝縮されています。
【2.蒸発した男(1966)】
ブダペストで消息不明となったスウェーデン人記者の捜索を極秘に依頼されたベック。記者はスパイではないかと疑われており、ベックの行動も制約される中でようやく突き止めた、記者が巻き込まれた犯罪の真相はやるせないものでした。冷戦時代の共産圏都市が、異国情緒たっぷりに描かれます。
【3.バルコニーの男(1967)】
ストックホルム市内で起きた、幼い女の子を狙った連続殺人事件を捜索する中で、次の犯罪を食い止められなかったベックは悲しみ、焦ります。『羊たちの沈黙』よりはるか以前に、こんなショッキングなテーマで書かれた小説があったこと自体が驚きです。この巻から、正義感の強い肉体派(でも御曹司)のラーソンが登場。
【4.笑う警官(1968)】
衝突して炎上したバスから発見された8人の犠牲者は、その前に銃で撃たれていました。しかも、被害者の中にはベックの部下で若い刑事のステンストルムもいたのです。「アメリカ的な凶悪犯罪」の被害者たちの共通点を追う中で、若い刑事が過去の殺人事件の単独捜査をしていたことを知ったベックは、手がかりを追い求めます。完成度も高く、シリーズ一番の傑作と呼ばれることの多い作品です。映画化もされました。
【5.消えた消防車(1969)】 
張り込み対象の容疑者のアパートが突如爆発し炎上。なぜか消防車の到着が遅れ、容疑者は死亡。これは自殺なのか?殺人なのか? 冒頭で自殺した別の男の枕元にあった「マルティン・ベック」と書かれたメモの謎とからんで、事件は不思議な展開を見せ始めます。肉体派ラーソンの大活躍の巻。
【6.サボイ・ホテルの殺人(1970)】
スウェーデン南端のマルメにある高級ホテルで、白昼堂々と財界の大物紳士が射殺されてしまいます。背景にあったのは、当時スウェーデンで社会問題化していた「貧富の差」。事件が解決してもベックが憂鬱なため息を吐かざるを得ないほど、後味悪い事件だったのですが、『笑う警官』で殉職したステンストルムの元恋人オーサとのロマンスも。^^
【7.唾棄すべき男(1971)】
現職警部が斬殺されるという凶悪犯罪が起こりますが、事件の背景には警察機構の腐敗がありました。「唾棄すべき男」というのは殺された悪徳警部ニーマンのことなのですが、問題はそう単純ではありません。警察の矛盾を知りつつ犯人グループと対峙するベックは、ついに銃撃戦に巻き込まれてしまいます。この作品も映画化されました。
【8.密室(1972)】
前巻で重傷を負ったベックが1年間の休職から復帰して、リハビリ的に手がけたのは、アパートで孤独死した老人の事件。自殺と判断されたのに、部屋が密室となっていたことに疑問を持ったベックの捜査は、連続強盗殺人事件へと行き着きます。前2巻に続いて、格差社会における警察のあり方が問われる作品に仕上がっています。
【9.警官殺し(1973)】
田舎町で起きた女性失踪事件の容疑者として逮捕されたのは、保釈されていた、第一作『ロゼアンナ』の犯人でした。ついでに、第2作『蒸発した男』の犯人まで再登場。ベックのヒューマニズムの見せ場ですが、捜査の過程で警官への銃撃事件が起きてしまいます。常にベックの片腕だったコルベリが、警察の矛盾に耐え切れなくなってついに辞職してしまうラストに作者の憤りを感じる作品でした。
【10.テロリスト(1974)】 
シリーズの最後は、フォーサイスやル・カレを思わせる展開でドハデに決めてくれました。アメリカのタカ派上院議員ストックホルム訪問に際して特別警護責任者となったベックが、国際テロリスト集団と対峙します。過去の主要メンバーが全員集合してくれるのは、作者のサービスでしょう。テロリストを「単純な悪」と決め付けないあたりが、このシリーズの深いところです。

このシリーズの不思議な魅力と迫力を実感するには、全10巻を通して読んでみる必要があるのかもしれません。自分を当時のスウェーデン社会に置いてみて、ベックをはじめとする主人公たちのキャラクターや考え方を理解する必要があるのかもしれません。

でも、あえてどれか一冊というなら、第4作の『笑う警官』でしょうか。最終作の『テロリスト』も好きな作品ですが、これだけ単独で読むと「フォーサイスもどき」に思えてしまうような気がします。

2008/3/22