りぼんの読書ノート

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知られざる北斎(神山典士)

昨年秋に小布施の岩松寺と北斎館を訪問したこともあって、本書を手に取ってみました。前半はモネやゴッホらの印象派画家たちが北斎に魅せられた理由と、北斎を海外にプロデュースした画商・林忠正の足跡をたどる物語。林忠正は、原田マハさんの『たゆたえども沈まず』にも登場していますね。

 

そして後半が北斎を小布施に呼んだ地元の豪商・高井鴻山の物語に入っていきます。80歳を超えた北斎が、なぜ小布施という田舎町に、岩松院の天井画の「八方睨み鳳凰図」や、上町祭屋台の「男波図」と「女波図」などの肉筆画を遺したのでしょう。もちろん鴻山の北斎愛がベースにあるのですが、北斎サイドにも版画絵師から肉筆画家への転向意向に加えて、天保改革での盟友・柳亭種彦の獄死や、オランダへの絵画の密売や禁制品の所持への不安や、不逞の孫による借金など江戸を離れたい理由があったようです。

 

ところで小布施の北斎肉筆画には贋作疑惑があったようです。正式な落款や裏書き、古文書等の裏付けがないことが理由のようですが、画法や画質からは北斎作と判断できるようです。北斎の真筆と確認されている下絵よりも質的に素晴らしい天井画が弟子の作品であるはずがないとのこと。もっとも「チーム北斎」の存在までは否定されていませんが、このあたりは許容範囲ですね。「男波図」と「女波図」も、有名な「神奈川沖浪裏」の波形の発展形・完成形と評価されている作品です。

 

小布施の北斎館の周辺は、著名な栗菓子店、料理屋、高級旅館、オープンガーデンなどが並ぶ瀟洒な一画となっています。高井鴻山の傍流末裔である市村郁夫町長による北斎館建設に始まる「修景事業」の成果であるとのこと。有名な栗菓子が販売される季節だったので、大いに賑わっていました。本書には墨田区北斎美術館誕生に至る紆余曲折も記されています。完成にはふるさと納税による寄付も貢献しているようです。近いうちに訪問してみたいと思います。

 

2024/2