りぼんの読書ノート

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クルーゾー(ルッツ・ザイラー)

1989年夏の東ドイツ。大学で文学を学ぶエドは、恋人を事故で亡くして絶望し、人生からの逃亡を決意。彼が向かったのはバルト海に浮かぶ小さな島、ヒッデンゼー。「隠者亭」なるホテルで皿洗いの職に就いたエドは、ここが「クルーゾー」というカリスマ的な男に統治される共同体であると知ることになります。そし大学て詩を学んでいたエドは、詩に情熱を注ぐクルーゾーに友人として特別扱いされていくのです。

 

対岸にデンマークを望むこの島は、東ドイツ市民のバカンス地であるとともに、自由を求める人々も惹きつけてきたとのこと。もちろん軍事的な警戒は厳しくて亡命者は容赦なく射殺され、サーチライトを逃れても大半は対岸にたどり着く前に溺死するようです。そのようにして亡くなった姉を持つクルーゾーは、同じ悲劇が繰り返されないように、無謀な亡命を試みる「難破者」たちに寝床を提供し「内なる自由」を説いていました。しかしエドが島で現実社会から逃避している間に、世界は大きく変わろうとしていたのです。

 

本書にはトーマス・マンの『魔の山』との共通点が見て取れます。カストルプがサナトリウムにいた間に第一次世界大戦が起こっていたように、エドが島にいた間に東ドイツという国家は消滅しようとしていたのですから。またタイトルが示しているように、クルーゾーとエドの関係は、絶海の孤島で奇妙な友情を育んだロビンソンとフライディにも例えられてもいます。さらにはエドが詩人になる過程を描いた作品であるとも言えるでしょう。しかし本書の真の目的は、社会主義政権時代に亡命を試みて落命した者たちへの挽歌ではないかと思うのですが、どうでしょう。

 

「夢と現実の境界を溶かす語りで国家の終焉を神話に昇華させた優れた作品」と紹介されていますが、決して難解ではありません。ただ優れた小説の多くがそうであるように、多面的な読み方を可能とする重層的な作品です。

 

2023/10