りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

アニマ(ワジディ・ムアワッド)

著者は内戦が激化したレバノンから、8歳の時に家族と共にフランスに亡命し、後にカナダで劇作家となった人物です。本書には、祖国と母語を同時に失った著者のアイデンティティを奪われた哀しみが込められているようです。本書の主人公ワハシュの経歴も著者と概ね同様ですが、決定的な違いは内戦で家族を失っていること。彼をカナダに連れて来て義父となった人物の過去が、やがて重要な意味を持ってくるのです。

 

物語は、ワハシュの妻が何者かによって惨殺されるというショッキングな場面から始まります。犯人とおぼしきカナダ先住民ルーニーを追うワハシュを見守るのは、たくさんの生き物たち。実は本書はワハシュを見守る犬、猫、馬、小動物、鳥、蛇、虫たちの語りによって綴られているのです。彼が有している生き物たちとの絆もまた、彼の過去と大きく関わっているようです。

 

犯人である残虐なルーニーもまた、カナダの先住民同化政策によって、自らの魂の言語を奪われた人物です。先日ローマ教皇が過去にカトリックの名のもとに行われた虐待について謝罪していましたが、先住民の人権と生存に関わる社会的な問題は、世界中で根深く残っているのです。もちろん日本も例外ではありません。余談になりますが、中途半端なところで制作が中断されたドラマ「アンという名の少女」における最大の未解決問題が、寄宿学校に拉致された先住民少女のことでした。

 

本題に戻ります。やがてワハシュは宿命の双子ともいえるルーニーと対決し、「メイスン=ディクスン・ライン」と名付けたオオカミ犬を伴侶とし、義父と彼自身の「正体」を探し求めて大陸を彷徨います。レバノン、カイロ、テーバイ、アテネなど、アメリカ各地に実在している地中海世界に関わる地名をたどる旅は、現代のギリシャ神話なのでしょう。象徴に満ちたトーテム・ポールのような構造を持つ本書のテーマは、ひとりの男が「自らの悪夢の顔」を探し求める勇気を見出していく過程です。それは、自然界の多くの生物に見守られて初めて可能となる、爆発的な痛みを伴うことのようです。

 

2022/12