りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

宇宙の春(ケン・リュウ)

f:id:wakiabc:20210830130300j:plain

成長著しい中国SF界を牽引するだけでなく、世界に向けて発信してきたケン・リュウの第4短編集です。既刊の『紙の動物園』、『母の記憶に』、『生まれ変わり』と合わせて全短編が邦訳されたことになるとのことですが、あらためて範囲の広さとレベルの高さに驚かされます。そして日本のSFとは一味異なる、東洋の風味にも。

 

「宇宙の春」

宇宙の冬が近づいています。死に絶えて収縮する宇宙に、再び膨張を始める春は訪れるのでしょうか。意識態へと変じた人類のネットワークハブである存在は、遠い過去に北京西駅として交通ハブであった頃の記憶を呼び起こします。「象徴の中に象徴を埋め込む」手法は、著者の得意とするところです。

 

マクスウェルの悪魔

第二次大戦中のアメリカで日系人収容所に収監されていた女性科学者は、スパイとして沖縄に送り出されます。ユタの血を引くその女性は、死者の念動力を用いて熱力学の第二法則を回避させることができたのですが、何層にも重なる差別の中に埋もれてしまうのですが・・。日本人作家による作品といっても通用する作品でしょう。

 

「ブックセイヴァ」

それぞれの読者が自分の好まない表現や、登場人物の人種や性別を勝手に書き換えるソフトは、著作権や読者に何をもたらすのでしょう。「本」をテーマとする物語も著者の得意分野でしたね。

 

「思いと祈り」

銃乱射事件の被害者となった娘を偲ぶために写真をネットにアップしたことが、二次被害の始まりでした。心ない人々による炎上や荒らし行為は、既に現実の問題になっています。

 

「切り取り」

古に神々の声を聴いた聖者が遺した「聖なる書」であっても、人間が犯す記憶と記述の誤りからは逃れられません。誤謬と思しき個所を切り捨てていった最後には何も残らないのでしょう。

 

「充実した時間」

排水溝や下水管の中を駆け回って、洗浄・修繕・害獣駆除を行う小型ロボットは大ヒットしたのですが、やはり盲点はあったようです。自動育児ロボットなどは実現させないほうが良いかもしれません。

 

「灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹」

大疾病後に中世化した世界で、動物に変身する能力を顕現させた3人の女性が、ゾンビ兵士を操る賊軍や封建領主に叛旗を翻します。最後に「桃園の誓い」の場面が出てくるまで、これが『三国志』へのオマージュ作品であるとは思いもよりませんでした。

 

「メッセージ」

遠い昔に滅亡した異星人が遺した廃墟とは、危険への接近を禁ずるメッセージだったようです。それを読み取るために近づいた者が危機に陥るとは皮肉なものです。

 

古生代で老後を暮らしましょう」

恐竜が誕生する前の古生代地球は、老後を暮らすのには良い条件がそろっているのかもしれませんね。巨大昆虫にさえ慣れてしまえば・・ですが。

 

「歴史を終わらせた男―ドキュメンタリー」

過去を覗き見る一種のタイムトラベルは、過去の出来事の真相を明らかにしてくれるのでしょうか。過去の不都合な事実の暴露は権力者や体制側の人間が最も嫌うことなのですが・・。日中戦争時の七三一部隊の真相を題材とした作品であり、政治的な誤解を恐れて、敢えて初期の邦訳からは外したとのことです。著者の盛名が十分に浸透した現在では、その心配は不要でしょう。

 

2021/9