りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ヴェネツィアの出版人(ハビエル・アスペイティア)

f:id:wakiabc:20201122134336j:plain

「イルカに錨」のマークで知られ、ルネサンス後期にヴェネツイアから多くの名著を生み出した「アルド印刷所」のことを知ったのは、記憶違いかもしれませんが、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』だったでしょうか。四つ折り版や八つ折り版という「持ち歩ける小型本」を生み出し、そのためのイタリック体活字を創造し、親子孫の三代に渡って印刷文化をけん引した出版社の創始者アルド・マヌツィオの生涯を描いた作品です。

 

ラツィオに生まれ、ローマで古典を学んだアルドが、ヴェネツィアに流れてきたのは必然でした。教皇のお膝元のローマでも、サボナローラが支配するフィレンツェでも、カトリック教義に反する出版は許されず、制限付きではあったものの自由が保証されていたのは、世界中でここだけだったのです。資本も印刷所も持たないアルドは、既にヴェネツィアで手広く出版業を商っていたアンドレア・トッレザーニに協力を仰いで、ギリシャ語による古典文学の出版にこぎつけます。

 

やがてアンドレアの娘マリアを妻に迎えて自前の印刷所を持ち、ピコ・デラ・ミランドラやエラスムスという当代一流の人文学者たちとの交流を深めていったアルドには、悲願がありました。それはピコ・デラ・ミランドラに託された『ポリフィロの狂恋夢』とエピクロス作『愛について』の出版だったのですが、なぜ彼はそれにこだわったのでしょう。

 

本書では、年の離れた妻であるマリアの存在が大きいですね。宗教にも帰依せず、女性との関係に距離をおき、不器用な仕事人であるアルドを、彼と遜色ない知識と彼を上回る世間知で支え、アルドの起こした事業を次の世代に引き継いだ女性として描かれています。まあ男女関係面は当時のヴェネツィアの通りなんですけどね。活字や印刷機の制作過程における工夫や、異端の書を闇に葬るために暗躍する写本追跡人との写本争奪戦など、活字文化が産声をあげた時代の活気ある喧騒が伝わってくる作品でした。

 

2020/12