りぼんの読書ノート

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湖底の城 6巻(宮城谷昌光)

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ついに呉と楚の決戦が始まりました。きっかけは楚の実験を握っている令尹子常の傲慢さに不満を抱いた、属国の蔡と唐が、楚を見切って呉側についたことでした。大軍どうしが正対する大戦においても、「孫武の兵法」は威力を発揮します。情報戦に勝ち、敵の意表を衝く神速の行軍によって、中国の戦士に残る大別山の戦いと柏挙の陣で圧勝。ついに呉軍は楚都・郢になだれこみ、伍子胥の恨みが果たされる時が訪れます。 

 

既に亡くなっていた平王の墓を暴いて「死者をむち打つ」のです。後世の者から見ると残虐な行為ですが、ほぼ同時代人の孔子も「仁」という人道と「礼」という家父長制の尊重の両面を尊重した時代のこと。ともあれ無実の罪で父と兄を処刑した平王に対する伍子胥の恨みは、この時点で氷解したのです。伍子胥は、小国の髄に逃亡した昭王の追撃をやめさせます。 

 

しかし呉は楚の支配を継続できませんでした。伍子胥の親友であった申包胥が秦の援軍を取り付けたこと、呉軍の留守に乗じて越王の允常が呉に攻め入ってきたこと、呉王・闔閭の弟夫概が勝手に帰国して呉王を僭称したことなどが重なったためですが、やはり勝ちすぎは良くないのでしょう。命拾いした楚ですが、王族のみで重臣を占めて、大功あった申包胥を重用できない古い体制の国には将来はありません。楚が再び大国となるには、およそ100年後の呉起による国政改革を待たねばならないのです。 

 

ともあれ、長年寄り添ってきた妻・小瑰の死も乗り越えた伍子胥は、翌年には太子終纍を補佐して楚軍を大いに破り、楚の首都を北方に遷都させるまでに追い込みます。まさに呉の黄金時代が到来したわけですが、太子終纍の病没が陰をさします。後継者として指名されたのは、嫡孫の夫差でした。 

 

2020/6