りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

昨日(アゴタ・クリストフ)

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悪童日記3部作」の著者による第4の長編は、新たな変奏曲ともいうべき作品でした。これまでの作品が、リュカ/クラウスという双子の片割れが西側へと亡命する物語であったのに対し、本書は亡命先での物語。かつて「私は次には、自分の亡命体験を語れるのかもしれません」と語った著者が、ようやく綴った新しい物語なのです。

従って、本書の主人公であるトビアス(偽名サンドール)には、やはり著者の実体験が反映されているわけです。若くして国境を越えた主人公が、異国の時計工場で単純労働に明け暮れながら「それはどこにも通じていない道だった」と慨嘆し、さらには「ただの人になることで物書きになれる」と、ある意味開き直った決意を示すあたりは、著者のむき出しの感情すら感じます。

娼婦であった母親と、彼女を妾としていた実父を刺して亡命してきたトビアスは、故国に残してきた異母妹のリーヌを夢想し続けます。しかしそれは彼の夢想の中にだけ存在する女性であり、数年後に再会する現実のリーヌではありません。トビアスの一方的な愛情が人妻となっていたリーヌに不幸をもたらすという展開に、寓話性など感じてはいけないのでしょう。しかしながら、著者が自ら切り開いた運命とは異なり、リーヌにも去られたトビアスが書くことをやめてしまっているラストは残酷です。

巻末に収録されている著者の来日記念公演「母語と敵語」も印象的でした。彼女を有名にした作品を生み出したフランス語は、かつては習得困難であった「敵」であり、現在は母語であるハンガリー語を殺し続けている「敵」でもあるというのですから。

2018/10


【『悪童日記』三部作】
・『悪童日記
・『ふたりの証拠
・『第三の噓