りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

東京會舘とわたし(下)新館(辻村深月)

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東京會舘への思い入れも深い著者による「歴史小説」の下巻は、1972年に建てられた新館へと舞台を移します。

「6.金環のお祝い」(1976年1月18日)
今年金婚式を迎えるはずだった夫を2年前に亡くした老女が、結婚記念日に開かれた新年会に訪れた會舘で見たものは、ロビーを照らす「金環」と、上階に飾られた旧館時代のシャンデリアでした。歴史は途切れることなく続いているのです。

「7.星と虎の夕べ」(1977年12月24日)
会員制の「ユニオンクラブ」で開かれるディナーショーを担当した若い従業員は、大スター越地吹雪の意外な一面を目撃してしまいます。越地吹雪さんは1970年から1978年までクリスマスイブのディナーショーに出演し、鳳蘭さんが後を引き継いだとのこと。東京會舘東京宝塚劇場はすぐ近くであり、深い縁があったようです。

「8.あの日の一夜に寄せて」(2011年3月11日)
大震災の日、會舘は帰宅難民に翌朝まで全館を提供したそうです。以前にクッキングスクールに通っていた女性も、會舘で不安な一夜を慰められました。翌朝帰宅した彼女は、夫の作った本格カレーに驚かされます。
シニア男性を対象にしたクッキングスクールでは、最初に「絶対すぐに家で料理するな」と教えられるそうです。奥さんに迷惑をかけないという覚悟が必要なのですね。

「9.煉瓦の壁を背に」(2012年7月17日)
ついに直木賞を受賞して会見場の東京會舘を訪れた作家の小椋は、支配人から「お帰りなさいませ」と出迎えられます。かつて両親との確執が決定的になった日に會舘で食事をした小椋が、「いずれ直木賞の時に帰ってきます」と言ったことを覚えていてくれたのです。この日は著者が直木賞を受賞した日であり、この言葉は著者が結婚式の際に言った言葉だそうです。

「10.また会う春まで」(2015年1月31日)
再び建て替えられることになった會舘の最後の営業日、新館では最後になる結婚式を挙げた新婦の曾祖母は、自分の結婚式を思い出していました。彼女は、戦時中に「灯火管制の下で」結婚式を挙げていたのです。長い間、顧客たちに愛され続けた會舘らしいエピソードです。そして同じときに作家の小椋は、東京會舘を舞台にした小説のため、會舘の社長と対談していたのでした。

東京會舘のリニューアルオープンは2019年1月とのこと。著者は「建物が変わっても歴史や思い出は消えない。今度は私がお帰りなさいと迎えたい」と語っています。なお、著者が参考にしたはずのエピソードが、東京會舘のサイト「わたしの東京會舘物語」に掲載されています。

2017/8