清少納言による随筆集ですが、スタイルは自由自在。通常は「あるある」を集めた類聚的章段、日ごろ思うことを書き綴った随想的章段、そして実際のできごと書き留めた日記的章段に分類されるのですが、ジャンル分けなど不要でしょう。本書全巻から立ち上ってくるものは、中宮定子という優れた女性と彼女を囲むサロンが全盛期であった素晴らしい時代なのです。
もともと『枕草紙』は、最終319段にあるように、兄の伊周が妹の定子に献上した紙を拝領して、清少納言が実家に隠棲していた時期に書き始めたものなのです。このとき既に定子の父・道隆は亡くなっており、実権を握った道長によって伊周・定子の兄妹は迫害を受け始めていたはず。
しかし現実世界における定子や自身の不遇については、278段に「今の世のありさまと比べると、とても同じ方のお身の上とは思えず気持ちが滅入り」と、ひとこと述べられているだけなんですね。枕草子誕生記である『はなとゆめ』のなかで、冲方丁さんは「男性文学・男性中心社会に対する戦いの書」とまで位置付けています。であるなら、泣き言は言わないということなのでしょう。そして、定子を中心とするサロンの素晴らしさを現代にまで伝えているという一点で、清少納言の試みは成功しているのです。
ところで、清少納言が優れた感覚と文才の持ち主であることは誰も否定しないでしょうが、友人にはしたくない人物のように思えます。身分意識に囚われていることは時代の制約としても、とにかく観察眼が鋭くて、心の底を見透かされてしまいそうなのです。もちろん、敵にも回したくはありません。
2017/5