りぼんの読書ノート

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逃亡派(オルガ・トカルチュク)

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前著昼の家、夜の家は、111もの断片的な物語を紡ぐことによって「土地の記憶」とでもいうようなものを浮かび上がらせた作品でした。本書もまた116の断章によって「旅」を描き出す作品です。

タイトルの「逃亡派」とは、アンチキリストの支配する社会との関係を絶って「放浪を唯一の正しい生き方とする」ロシア正教セクトのこと。モスクワの地下鉄に乗り続ける女性にとって、壮大な地下鉄駅はまるで神殿のようです。「動いているなにかは、止まっているなにかよりもすばらしい」のです。

まるで記憶に残らない「旅行心理学」の講義。家族旅行で行ったクロアチアで妻子に失踪されてしまったポーランド人男性。死の床にいる元恋人をたずねてニュージーランドから数十年ぶりにワルシャワに戻った女性。パリで死んだショパンの心臓を祖国ポーランドに葬るため、冬の平原を馬車で渡って行く姉のルドヴィカ。路上、ホテル、空港、客船でのさまざまな出会い。

その一方で、人体や解剖にまつわる話も数多く登場します。アキレス腱の発見者である17世紀の解剖学者ルイシュの生涯。人体の神秘に魅せられたブラウ博士が見出した驚くべき解剖標本。オーストリア皇帝に仕え、死後標本にされた黒人アンジェロ・ソリマンのエピソード。

それは「自分こそが旅の目的地」だからなのでしょう。「旅行中にいつも顔を合わすのは、結局自分自身」なのであり、「世界が西も東もなく自由に旅し尽くされたように思えても、人にはまだ、自己という探求の対象がある」のですから。

2014/8