りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

説教師カニバットと百人の危ない美女(笙野頼子)

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笙野さんが、自分の正体が金毘羅であると気づく以前に書かれた小説です。

決して笙野頼子ではない小説家・八百木千本は、デビュー後いくつかの賞をとった後には、静かな一カルト作家に留まっていて、決して売れてはいないが、自らがブスであることをネタにした小説が、一部の読者の心を惹き付ける存在です。

そんな八百木は、「巣鴨こばと会残党」またの名を「カニバット親衛隊」という100人の「美女」のゾンビに悩まされていました。昼夜なく届けられる膨大なファックスに書かれているのは、結婚至上主義の女性差別的女性論を説いてきたカニバットの教えを信奉した結果、理想的な結婚から外れて狂気に陥ったサイコパス女性たちの呪いの言葉。

単にブスであるがゆえに結婚など望むべくもないため、「美女たち」が至上としている結婚を自然体のまま超越してしまい、自分と猫の世界に安住している八百木のことを、「美女たち」は許せないんですね。

しかも「美女たち」の正体は、八百木よりマシな程度で、決して美女ではないんです。さらに、カニバットにもその後継たりえなかったドク郎にもおぞましい仕打ちが・・。

しかし、何という小説なのでしょう。単なるメタフィクションでもないし、ひたすら「ブス」と「美女」の対立構造を提示して、しかも両者は結局のところ、幼稚な男性たちが作り上げた社会通念から外れた存在であるとひたすら強調するだけなのです。既成小説を超越した地点で展開される不毛な議論の応酬は、
次のように結ばれます。「最悪のこばと会よりも凶悪なもの、それはごく普通の男性」・・

でも、著者のこの後の作品を読んだ後では、まだ小説っぽく思えてしまう! 小説の中で八百木が、「笙野頼子はまだブスのアマチュアにすぎない」と批評している箇所は笑えます。それと八百木がまとめた「ブスの定義」も。^^

2011/8