りぼんの読書ノート

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ある一族の物語の終わり(ナーダシュ・ペーテル)

1942年にブダべストに生まれたユダヤ人の著者が30歳の時に書き上げた本書は、極めて難解でした。言葉遣いも語られている内容も平易なのに、少年による語りが断片的であちこちに飛びまわるため、物語の全体像がなかなか見えてこないのです。隣家の兄妹と遊んだ話、不在がちな父親の話、祖父から聞いた一代記や2000年に渡るユダヤ人の放浪の話・・。

 

やがて物語の時代背景が、密告と粛清が荒れ狂った1950年代のハンガリーであることがわかってきます。語り手である少年の父親は情報将校であり、裁判で偽証をして友人を陥れたこと。その裁判の中継をラジオで聞いた祖父は息子に絶望したまま亡くなったこと。ほどなく祖母も後を追うようにして他界したこと。やがて父親も粛清され、身寄りを失くした少年は政治犯の子供たちが収容される施設に送られたこと。彼はそこでベッドから落ちて気を失ったこと。つまり本書は、自我も時間概念も確立されていない幼い少年が、意識朦朧状態で回想したことのようなのです。本書が出版された1972年にはまだ、旧ソ連による間接的な支配下にあったハンガリーでは、るこのような表現でしか政府批判に繋がりかねないことは語れなかったのでしょう。

 

明らかに祖父は少年に一族の歴史を伝えようとしていました。刑場に赴くキリストの十字架をかつがされたという通りすがりのユダヤ人に始まり、パレスティナカディスコルドバルーアン、ヴォルムス、ノリッジ、ヨーク、ウィーンを流浪したユダヤ人一族は、ブダべストでようやくキリスト教と和解しようとしていました。しかし祖父が信じていた伝統の継続性は、息子の偽証によって揺らいでしまったのです。おそらく少年に伝統は伝わることなく、「ある一族の終わり」がもたらされることになるのでしょう。重い作品です。

 

2023/6