1894年にオデッサのユダヤ人街に生まれたバーベリは、ロシア革命に際して赤軍に入隊するものの、病を得て翌年に帰郷。1920年代に発表した短編は熱狂的な人気を博したものの、やがて革命の理想と現実のギャップに気付いて次第に寡作となり、ついには1940年にスターリンによって銃殺されてしまった作家です、本書はバーベリの代表的な連作短編である「オデッサ物語」と、親交のあったゴーゴリに捧げられた自伝的な連作短篇「私の鳩小屋の話」が収録されています。
「オデッサ物語」
オデッサのユダヤ人街に王として君臨した、偉大なギャングたちの物語。若き王となったベーニャ・クリクはいかにして前王のフロイム・グラチに見出されたか。グラチに助言を与える酒場のリュブカはどのような女傑であったのか、そしてベーニャ・クリクの支配とはどのようなものであったのか。最小限の語りでオデッサという実在の街をファンタジックな異世界に変貌させてしまう手際の良さは、佐藤亜紀さんの文体を思わせます。巻末には、非革命的な内容である生前には発表されることとのなかった短篇「フロイム・グラチ」も収録されています。王たちは赤軍によって銃殺されるという末路を迎えてしまったのです。
「私の鳩小屋の話」
著者が難関の中学予備級に合格し、お祝いに鳩を買ってもらうために出かけた広場で反ユダヤ人暴動が起こり、鳩も叔父も殺害されてしまったのは、10歳の時のことでした。一家は隣人の将校の家に避難しますが、そこの若妻こそ少年の初恋相手だったのです。しかし少年は、悲しみのあまりにしゃっくりをとめることができません。
中学校では成績が落ち、父親が熱を入れた音楽教育も身に付きませんが、そのた代わりに妄想癖が高じて創作を始めるようになります。裕福な家の優等生と親しくなりますが、彼を家に招待した際にユダヤ風の馬鹿騒ぎが起こって、少年は恥ずかしい思いをするのです。
やがて演劇に興味をいだいた少年は、ペテルブルクに上京し、モーパッサンの翻訳を試みる上流階級夫人の助手を務めますが、憧れのフランス人作家の晩年が発狂死であったことを知り、己の運命に射す暗い影を感じるのでした。これは革命直前の時期のことであり、その時期にゴーゴリとも知り合っています。
「カルル・ヤンケリ」
この独立した短編では、革命の戦士となった父親と、敬虔なユダヤ教徒の母親の間に生まれた息子の名前を巡って、オデッサの検察庁とユダヤ教会が対立するに至るという、滑稽ながら深刻な事件が描かれます。カルルとはカール・マルクスにちなんだ名前であり、ヤンケリとは伝統的なユダヤの名前だそうです。
2020/9