りぼんの読書ノート

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秋月記(葉室麟)

今年4月に福岡に旅行した際に、秋月城下町を訪れました。福岡藩支藩として黒田氏の分家によって治められた三方を山に囲まれた城下町は、町全体が国の重要建造物群保存地区に指定されており、極めて印象的なたたずまいを残していました。著者が「秋月藩シリーズ」として2作品を著していたことを帰宅後に知って、本書を手にしてみた次第です。現地訪問前に読んでおくべきでした。

 

本書の主人公である間小四郎は、実在した人物です。それどころか、物語の前半で悪役として描かれる家老・宮崎織部、種痘の先駆者であった藩医・緒方春朔、儒学者・原古処と閨秀詩人・原采蘋の父娘、福岡藩から遣わされた沢木や井手など大半の登場人物が実在しており、本書で描かれる事件や出来事もほとんど史実に基づいているのです。ではそれがどのようにして、高潔にして清涼感あふれる物語となったのでしょう。

 

秋月藩の悩みは、本藩である福岡藩による支配の企みであり、山国の小藩であるが故の貧しさです。若く正義感に満ちた間小四郎は、同志たちとともに藩政を牛耳っていたとされる宮崎家老を訴え出て追放に成功しますが、福岡藩に踊らされていたことに気付きます。藩政の刷新を担うことになった小四郎らは、前家老と同じ悩みを抱えざるを得ません。本藩からの圧力や強まる中で前家老の真意に気付いた小四郎は、藩を維持すべく捨て石となる決意をするのです。やがて彼もまた、罪を着せられることになるのですが・・。

 

著者は当初、本書の中では脇役にすぎない百姓娘いとを主人公にして書こうとしていたとのこと。故なく蔑視にさらされた逆境の中で、藩財政の打開策として葛作りを小四郎に提案する女性です。本書の中で最も高潔な人物のひとりですが、ひとつの挿話として小四郎視点による客観的な叙述に抑えたことが効果的だったように思えます。彼女のゆかりの人物が開いた葛店は、秋月の名産品となって現在は10代目の方が継いでいます。

 

秋月城跡、黒門、長屋門、瓦坂、杉の馬場など撮影してきた写真を眺めながら、本書を読みました。城下の主道は狭いながら美しい桜並木道であり、花見のシーズンには混雑するのでしょうが、訪問時は他の観光客もおらずひっそりとしていました。本書の読後感は、気高く静謐な城下町の印象と重なります。

 

2023/6