ナイジェリアのイボ族出身の著者が生まれたのは1977年のことですから、1967年から1970年まで続いたビアフラ戦争が終わった後のこと。しかしイボ族の中でビアフラ戦争の記憶は受け継がれ続けているのでしょう。先に読んだ『半分のぼった黄色い太陽』はビアフラの悲劇を描いた長編でした。日本の戦後生まれの作家が、太平洋戦争の悲惨な記憶を語り継ぐようなものだと思います。本書は、ビアフラ戦争およびその後日談に加えて、アメリカに渡ったナイジェリア人の複雑な思いをテーマとする短篇集であり、どの作品にも著者の心が宿っているようです。
「アメリカにいる、きみ」
ラゴスから知人を頼って渡米した若い女性が遭遇する苦難、理解ある白人男性との出会い、父の死を知って揺れ動く思いが綴られていきます。「きみ」という二人称は、全ての移民女性に向けての呼びかけなのでしょう。
「アメリカ大使館」
政府を非難する記事を書いて亡命したジャーナリストの夫は、妻と子に襲い掛かる運命がわかっていたのでしょうか。暴漢に幼い息子を虐殺された妻は、アメリカに亡命するために大使館へと向かいます。しかし彼女にはもう全てがどうでもよくなってしまっていたのです。
「見知らぬ人の深い悲しみ」
アメリカで意味なく警察に撃たれた夫が、植物状態で9年間過ごした後に死亡。心を閉ざしたままの妻に対して、親族たちは申し分のない再婚相手を探し出しますが、彼女の心を開かせたのは他者の痛みへの共感だったのです。
「スカーフ - ひそかな経験」
この事件はビアフラ内戦が始まった時のことなのでしょう。北部に住む叔母の家を訪れていた女性は、突然始まった暴動から逃れるために狭い廃屋の隠し部屋に逃げ込みます。そこで民族も宗教も階層も違う女性とともに、おびえながら一昼夜をすごしたことで、互いを思い遣るやさしさがあることを信じ続けられるのかもしれません。この直後から続いた地獄的な内戦の間であっても。
「半分のぼった黄色い太陽」
後に書かれた同タイトルの長編のための予備的な短編なのでしょう。ビアフラ共和国が存続した3年の間に、民族の誇りも、父の財産も、母の威厳も、弟の生命も、婚約者の片腕も、自分を待っていた未来も失った女性ですが、それでも生き続ける希望だけは失わなかったのです。
「ゴースト」
71歳の退職した大学教授は、内戦時代に消息を絶って死んだと思われていた旧友と再会します。彼は思うのです。3年前に死んだ妻が幽霊になって彼を訪ない続けていることだって、不思議でもなんでもないことなのだと。
「新しい夫」
アメリカでインターン医をしている男のもとに、ナイジェリアから嫁いでいった女性は、故郷を捨ててアメリカナイズを急ぐ夫のモラハラに苦しめられます。しかしここから逃げ出すことなど不可能なのです。
「イミテーション」
アメリカで足場を築こうとする野心的な夫は、ビジネスのためにナイジェリアにも家を持って2つの国を行き来している成功者です。しかしアメリカで暮らす妻は聞いてしまうのです。夫は故国にも妻同然の女性がいると。かつて夫が購入したアフリカンアートのイミテーションが効果的に用いられています。
「ここでは女の人がバスを運転する」
アメリカに来たものの孤独で惨めな暮らしをおくっている若い男性が、バスの臨時運転手となった明るい女性との会話から笑顔を取り戻していきます。著者には珍しく男性視点で書かれていますが、心が温まる作品でした。
「ママ・ンクウの神さま」
イボ人の父親とイギリス人の母親を持つハーフで、アメリカの大学でアフリカ文学を教えている女性が、積極的な女生徒の質問に答えて、父方の祖母が信仰していた素朴な宗教のことを振り返ります。彼女は、祖母と不仲だと思っていた母の真情にあらためて気づくのでした。
2021/6