りぼんの読書ノート

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その日の後刻に(グレイス・ペイリー)

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1922年にニューヨークに生まれ、84年の生涯でたった3冊の短編集を残しただけの著者に惹かれる人は数多いのですが、村上春樹さんもそのひとり。30年近くの歳月をかけて全作品を翻訳したのですから。本書は、『最後の瞬間のすごく大きな変化』と『人生のちょっとした煩い』に続く、最後の短編集です。

 

長短取り混ぜて17の短編にエッセイやロングインタビューを含む作品集なので、とても全部を紹介するわけにはいきません。著者の分身であろうフェイスという女性についてのメモを記しておこうと思います。

 

「死せる言語」であるイディッシュ語で詩を紡ぐユダヤ人の父を持ち、一度結婚に失敗して離婚した後に彼女の理解者であるジャックと再婚。前夫リカルドとの間にリチャードとトントという2人の息子を持っていますが、子供たちとの世代間ギャップには手を焼いている模様。著者と同様にリベラルなフェミニストであり、人種差別や女性差別には黙っていられないのです。当時はまだ社会主義国家の独裁問題も広く知られていなかったこともあり、ソ連や中国にも寛容な様子。

 

著者によるとフェイスは、著者を含む友人たちとの「集合的人格」であるようですが、本書にはフェイスの友人であるスーザン、アン、セリーナ、ルーシー、イーディという女性たちも登場しており、「集合的ヒロイン」とでもいえるグループが形成されているようです。

 

本書でもっとも印象に残ったのは、やはりフェイスものである「 ザグラウスキーが語る」。フェイスたちはかつて、彼のことを「黒人客を拒む人種差別主義者」と批判したことで、彼の薬局の経営を苦しくしたのみならず、彼の娘の人生を大きく狂わせてしまったというのです。しかも、ナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人であるザグラウスキー氏が黒人を差別したというのは単なる誤解にすぎないようなのです。多重的な差別と被差別の関係の中で差別への反対者も差別者になりえることを示し、その役を自身の分身に担わせるという著者の真摯さが伺われる作品です。

 

本書を翻訳した村上春樹さんも、それに協力した柴田元幸さんも頭を抱えた個所が多いという作品であり、うっかりしていると発言者や人間関係がわからなくなってしまうほどに刈り込まれた文体は、丁寧な読み方を求めています。しかし間違いなくその価値はあるのです。

 

2021/1