りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

イエローフェイス(村上由見子)

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新作ハリウッド100年のアラブを出版した著者の、13年前の本。「ハリウッド映画にみるアジア人の肖像」という副題がついてますから、内容はだいたい想像つくでしょう。

日本、中国、さらにはヴェトナムなどのアジア人が、ハリウッド映画でどのように扱われてきたかの歴史を追うことによって、アメリカ国民に刷り込まれてきた(ということは、一般アメリカ人が持っている)アジア人認識を浮かび上がらせた、興味深い文化論になっています。

黎明期である1910年代から、アジア人は映画に登場していました。でも役どころは、フー・マンチューのような「アジアの怪人」か、日本芸者やチャイナドールのような、エキゾチックな玩具的女性に限定されていたようです。

太平洋戦争の開戦とともに戦意高揚映画が作られ、役割は一変します。日本人が残虐で卑劣な野蛮人に描かれたのは仕方ないのでしょう。「個人としては立派な将校であり悪いのはファシズム」と描かれたドイツ人なみに日本の軍人が扱われるようになるには、昨年公開された『硫黄島からの手紙』を待たねばなりません。ちなみに、ドイツ人が残虐な敵役としてスクリーンに登場するようになったのは、戦後、強制収容所の実態が明らかになってからのようです。

戦争中は日本軍に虐げられる無辜の民として描かれていた中国人は、戦後の中華人民共和国の成立と朝鮮戦争の開始とともに、一転して狡猾な存在になってしまいます。『慕情』なんて、まだマシなほう。この頃、進駐軍兵士が日本人妻を連れ帰るケースが増えてくるに連れ、日本人女性はつつましく男を立てる女性として登場が増えてきます。といっても、ゲイシャ・ガールの復活にすぎないのですが・・。

もちろん、ヴェトナム戦争の影響を忘れるわけにはいきません。ヴェトコンは、まるでエイリアンか病原菌のように不気味な存在であり、南ヴェトナムのいたいけない少女ですら、突然アメリカ兵を殺し始める全く理解の及ばない存在としか認識されなくなってしまうんですね。

日本経済が世界を席巻した80年代以降であっても、その傾向は一緒。アメリカに進出した自動車工場のトップですら、常に顔も見えず本心も理解できない、結局は不気味な存在として登場するのですから。
ブルース・リーや、ミヤギ老人のように、武道家として扱われるほうが、まだマシなくらいです。

とはいえ、ハリウッドにおいてステレオタイプな存在として扱われたのは決してアジア人だけではありません。黒人やインディアンは言うに及ばず、イタリア系、スペイン系、アイルランド系、ユダヤ系、ポーランド系も、みな、アングロサクソンから見てカリカチュア的に描かれてきたのは、大衆芸術である映画の宿命なのでしょうか。

しかしハリウッド映画も世界市場をターゲットにしていく中で、少しずつでも人種の壁を越えて「個人」として扱われるようなケースが増えているのも事実です。「総論」だけでなく「各論」の違いを見ることは難しいのですが。

アラブ系の人々がどのように扱われてきたのか、とりわけ9.11以降どうなっているのか、彼女の新著での解析を読むのが楽しみです。でも、一番の反省は、そもそも日本映画の中で「ガイジン」をきちんと
描いてきたのか・・ということかとも思うのですが、どうでしょう。

2007/4