りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

春の戴冠(辻邦生)

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ボッティチェルリの「春」を解説していたTV番組を見て、学生時代に読んだこの本を読み返してみたくなりました。

ストーリーはシンプルなのです。ルネッサンスの中心であった、花の都フィレンツェの栄光と没落を、時代を象徴した画家サンドロ・ボッティチェルリを中心に描いた本。メディチ家のコジモが礎を築き、豪華王ロレンツォが花開かせたフィレンツェルネッサンスの最盛期に忍び寄る衰退の予兆。サンドロの感性は時代をどう受け止めて、何を残そうとしたのか。時代を共に生きた、幼なじみの哲学者の回想録の形で綴られます。

私はやっぱり、この人の作品は好きなのです。電車の中で読むと腕が痛くなるほど厚くて重い本だし、時に「芸術至上主義」に流れる作風には少々抵抗を覚えるけれど、辻邦生さんの描写は、読み終えるのが惜しくなるほど美しい。

「この桜草、あの桜草」ではなく「永遠の桜草」を描きたいと熱望し、科学的精神による真理追究の価値を認めながらもそれにあきたらず、「遠近法に閉じ込められた絵」ではなく「精神を開かせる絵」を追究し、「悦楽の瞬間」は消え去るものだからこそ「神的なもの」として遺したいと願うサンドロへの、友人の眼差しは賞賛と羨望に輝きます。

あらゆる意味でフィレンツェの時代を象徴したシモネッタの姿を「春」や「ヴィーナスの誕生」の中に永遠に刻み込んだサンドロが、なぜルネッサンス精神を否定したサヴォナローラに心酔したのかを描く後半は重苦しくなるけど、友人の眼差しは最後まで暖かい。

最初に読んだ時にはまだ、フィレンツェは想像するだけの遠い異郷。彼の地を訪れたあとで再読した本書は、フィレンツェを歩き回った甘美な9日間の記憶を、あざやかに想い起こさせてくれました。おなかをこわして、パスタやジェラートを諦めた苦い思い出もね。

2007/2 再読


【追記】
オルハン・パムクわたしの名は紅(あか)で、「わたしの肖像画を永遠に残したいとの望みは叶わないだろう」と、ヒロインであるシェキュレが述懐する場面があります。「細密画家には個人に似せた肖像画を描けないし、西洋の名人たちは時を止められないから・・」と。イスタンブールの彼女に、ボッチチェルリの作品を見せてあげることはできなかったのでしょうか?