りぼんの読書ノート

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両方になる(アリ・スミス)

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不思議な構成の作品です。ともに第1章とされる「目の章」と「カメラの章」からなっていて、どちらから読んでも構わないというのですから。本書では「目の章」が前に置かれていますが、キンドル版などでは逆順のバージョンもあるとのことです。

「目の章」の語り手は、15世紀イタリアで活躍した画家であるフランチェスコ・デル・コッサ。フェラーラエステ家宮殿を飾る壁画が代表作であり、いったんは忘れ去れらたものの400年後に依頼主に賃上げを求める手紙が発見されて、再評価されたとのこと。本書ではフランチェスコは実は、職業画家となるために男性として生きた女性であったとされています。依頼主への風刺を壁画に紛れ込ませた彼女の反骨心は、どこから生まれたものだったのでしょう。なぜか現代イギリスに復活したフランチェスコの霊は、彼女の作品を見つめるジョージという少女を観察します。

「カメラの章」の語り手はそのジョージです。政治批判を繰り返していた経済学者の母を前年に亡くしたジョージは、そのショックから立ち直れないでいます。彼女が思い出すのは、イタリア旅行の際に母が解説してくれたフェラーラの壁画のことでした。彼女の傷心は、壁画の作者であるフランチェスコのことを調べることによって癒されていくのでしょうか。

「目の章」を先に読むと「カメラの章」はフランチェスコが少女の哀しみを見つめる内容と読むことができます。その逆の場合は「目の章」はジョージが画家を女性に見たてた創作とも思えてきます。しかしどちらでもよいのでしょう。本書のタイトルである「両方になる」とは、過去と現在、男性と女性、現実と虚構という、対立関係にある2つのものに身を重ねることを指しているのでしょうから。そしてどちらの章からも、個人の多様性を圧殺しようとする権力への反抗という主題が立ち上がってくるのです。

しかし本書の魅力はそのような技巧だけではなく、みずみずしい描写にあるのでしょう。フランチェスコの実像を知らない男友達に連れられていった売春宿で、彼女が描いた美しい似顔絵が娼婦たちに自信を持たせたエピソードや、ジョージが得た理解者ヘレナと育んだ友情のエピソードなどは、それだけで成立する美しい短編のようです。

2019/3